黒猫翁の言いたい砲弾

新聞やテレビを賑わしていることについて思ったことを書いていくページです。公開の備忘録?ですかねw

【経済】第一の矢「異次元の量的緩和」はホントに効いているのでしょうか?(2)

 日本の場合はどうでしょうか。
 まずはこの前の記事にアップした米・英データと同じ出典からご紹介しましょう。

 

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 前回と同様、赤い線がMBで、青がマネーストック、緑が金融機関の貸出です。
 2001年から2006年にかけて日銀(当時の総裁は速水氏~福井氏)がMBを増大させているのが分かります。これはITバブル崩壊に対処するために行った量的緩和で、5年間で44兆円のお金を日銀当座預金に積み上げました。その後は予定通り出口戦略を進め、そそくさと店じまいしています。
 マネーストックはというと・・・これがなんとアングロサクソン系の国とは異なり、わずかづつではありますが明らかに増加傾向が見られます。理由は分析しないと分かりませんが、国民性や経済構造の違いに関係しているのかもしれません。ただしやはり2001年からのミニ緩和とは何の関係性も見出せません。マネーストックは1997年の土地バブル崩壊後、マイペースで漸増を続けていくのみで、政府の金融政策にはまるでソッポを向いているかのような振る舞いです。金融機関の貸出も同様、ミニ緩和にはまるっきり反応していません。もっともこちらのほうは逆に少しずつ減少していて目も当てられませんね。
 だからこのとき行ったミニ緩和は前回ご紹介した米・英の例と同じく信用創造の活性化には効果がなかったといわざるを得ません。ただ、(本筋とは無関係ですが)出口戦略はうまくいったようです。この時に日銀が購入した国債は3か月とかの短期物が中心だったのですぐに期落ちして日銀内のバランスシートに影響を及ぼすことはありませんでした。(それがいいことなのか、どうでもいいことなのかは別ですよw)

 

2012年以降の最新状況
 ところでこのグラフは2011年までしかありません。このあと安倍政権が誕生し2013年度からは鳴り物入りで異次元緩和が始まったわけですから、この期間の動きが大切です。それで調べてみた結果がこれです。なお、マネーストックは過去との整合性を重視してM2としました。(マネーストックには計算の対象とする金融機関によってM1~3くらいまで分かれていますが、昔よく使用されていたM2+CDというのが現在のM2に一番近いです。)

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  赤のMBは2013年から爆発的に上昇しています(2014年12月までで120兆円増加)。日銀当座預金の底が抜けそうな勢いですね。問題は青のマネーストックです。
 一応増加はしていますが2011年以前の傾向とまったく変わっていません。昨年10月に黒田日銀総裁が「マネーストックの増加は極めて穏やか」と発言しましたが、それだけでは誤解を生むので、さらに一言“異次元の量的緩和の前後でマネーストックの増加割合はほとんど変わっていません”と付け加えるべきではなかったかと思います。
 では、「金融機関の貸出」はどうでしょうか。2011年までは明確に減少していましたが、2012年以降はどんな変化が見られるか――それがこれです。

 

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 なんと上がっているではありませんか。黒線が民間金融機関の貸出残高の増加率のトレンドですが、ぐんぐん伸びているのが見てとれます。いよいよ黒田バズーカの効果が出てきたのかな?と一瞬喜んでしまいました。
 ところがよく見ると前年比貸出がプラスになったのは2011年頃からで、異次元緩和の開始は2013年ですから、ほとんど関連はありません(しかも2014年には貸出は減少しています)。
 さらに詳しく見ていくと、貸出が増えているといっても必ずしも理想的な状況でないことがわかります。すなわち、民間金融機関の貸出は「民間非金融法人(いわゆる民間企業)向け」と「家計向け(住宅ローン」と合わせて7割を占めていて、これをどんどん増やしていくのが信用創造の源になるはずですが、異次元緩和が開始されたにもかからわず月に1~2%程度しか伸びていません。住宅の需要増(駆け込み需要)も一時的で限定的な効果しかありませんでした。一方で海外向けの貸出がなんと月に20~30%も増えており、貸出総残高における海外向け貸出の構成比率が爆発的に伸びている状況です。これはつまり、


 これまで日銀が積み上げてきた莫大な額の当座預金のお金が家計や国内企業にはほとんど貸し出されず、代わりに外国企業にどんどん流出している。


という構図になります。日銀はまるで外国企業を潤わせるためにせっせとお金を刷っているようなもので一体何をしているのか分かりません。

 

MBを増やすとマネーストックが増えるか?
 MB(マネタリーベース)を増やすとマネーストックが増えるかどうか――巷ではよくこの手の議論がされています。大きな傾向でいうと、これまでご紹介したように「MBとマネーストックはほとんど相関がない」という答えにならざるを得ません。しかしミクロな視点で見ると厳密には違っています。下のグラフをご覧ください。

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 これはMBとマネーストックの増加率(前年比)の推移を表したものです。これを見ると、二つの指標は意外と連関していることが分かります。MBを増やすことによってマネーストックを増やす、という量的緩和の方策は理屈の上では正しいのだと思います。ただしグラフのスケールが異なっている点に気をつけなければなりません。たとえば2014年時点でMBは前年比50%アップ(右目盛)させており、マネーストックもそれに応じる形で増加していますが前年比で高々3%程度(左目盛)に過ぎません。単純にいえばMB1割アップに対してマネーストックは0.6%アップした、という非常に感度の低い関係です。これを「厳密には連関がある」と見るのか「実質的には連関がない」と見るのか――人それぞれでしょうが、日本全体のマクロの話をしている時に数学的な厳密性を持ちだしてきても全体像は掴めないのではないかと考えます。
 「たとえ0.6%と効果が小さくてもマネーストックは確実にプラスされていくのだからもっと長い目で見ればいいではないか?」という意見もあります。ですが、日本、米国、英国の例で見てきたように、マネーストックのバルクの傾向は量的緩和とはほとんど関係がない部分に支配されているとしか考えられませんし、日本の場合、増えたマネーは海外へ流出してしまっているのが現状です。さらにMBが膨れ上がると出口戦略が急速に難しくなるのも事実ですので、このまま時が経過すればするほど経済構造に歪が出てくる可能性が高いのではないでしょうか。ちなみにインフレ期にはMB1割アップに対してマネーストックも1割近くアップしていたという過去のデータがあります。もちろん今はデフレですのでそんな贅沢な数字は適用はできません。(まあそもそもインフレ期に量的緩和なんて火に油ですから絶対にしてはいけません(笑))。

 では量的緩和にはメリットがないのか、というと、いやいやそうではありません――という話を次回の記事でお話したいと思います。(黒猫翁)

【経済】第一の矢「異次元の量的緩和」はホントに効いているのでしょうか?(1)

 ひとつの国には大体中央銀行というのがあって色んなオペレーションをしてその国の経済をコントロールしています。そのなかに「買いオペ」というのがあります。買いオペというのは一般の金融機関が持っている国債を日銀が買い取ることで、その対価の支払にあたって中央銀行は、支払額相当の貨幣を「増刷」し(実際はPC上で帳簿上の操作を行うだけかと思います),その額を相手の金融機関が中央銀行内に持っている当座預金にザっと流し込みます。
 上で述べた一連の操作をインフレ目標値が満たされるまである意味無制限に続けることを日本では量的緩和と呼んでいて、これにより金融機関が中央銀行内に持っている当座預金の残高はぐんぐん膨張していきます。日本では中央銀行である日銀がアベノミクス政策の第一の矢として2013年度から量的緩和に突入しました。その結果、2014年12月までにマネタリーベース(MB)がなんと120兆円も増えました。(マネタリーベースというのは市中を出回っている現金と日銀当座預金残高を足したお金の数量です。)
 日銀当座預金は常に法定準備額(預金者保護の観点から設けられている制度)以上の残高を維持することが必要ですが、これを超えてあまりにも積みあがってくると死に金になってしまいますので、通常であれば金融機関は膨れ上がったお金を何らかの方法で運用しようという気持ちになります。そんなときに「お金を貸してください」という企業なり個人が出てくれば(日銀に売却した)国債よりちょっとだけ高い金利でドンドン貸そうとするでしょう。これによって日銀が増刷したマネーは実体経済の世界にすべりこんでいきます。こうなれば日銀もマネーを銀行に流し込んだ甲斐があったし、銀行もちょっとだけ儲けられて有難い、また企業や個人も貸してもらえて助かりましたという――近江商人の「三方良し」という状況が生まれるわけです。
 金融機関による「貸出」が日本全体で行われるようになれば、貸し出されたお金が信用創造という仕組みによってどんどん増幅していき(つまり預金口座が新たにたくさん作られ預金の総残高が増えるということです。)、果てはGDP(国内総生産)を上げ、国の税収が増加することが期待されます。これが量的緩和の理想的な姿であり最終目標とする絵姿です。


 こうした状況がきちんと進捗しているかどうかを図るバロメータとして何があるかというと、直接的にはもちろん「民間金融機関の貸出量」で、一番分かり易いですね。でも「マネーストック」という指標もよく使われます。マネーストックとは大まかにいって市中を出回っている現金と金融機関の預金総額を足した値です。日銀当座預金に積み上げたお金(MB増額分と理解できます。)が100%実体経済に流れ込み信用創造によって金融機関の預金総額が増幅していけば、マネーストックはMBの増額分以上の増加を示すことになります。1980年代はインフレ期に当たりますが、そのときの統計データを見てみると、MBの増加に対してマネーストックはかなり感度良く増大していったことは否定しようのない事実です。


 理屈としてはとても効果を発揮しそうな「量的緩和」――この正否を判断するにはまずは外国の例を見るべきだと思います。量的緩和を行った国というとやはり思い浮かべるのが米国、そして英国、いわゆるアングロサクソン系の国ですね。細かい話は抜きにして、「結果」がどうなったのかを見てみましょう。下のグラフです。

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 赤い線がMBで青(黒っぽい線)がマネーストック、緑が金融機関の貸出です。

 両国ともリーマンショック以降、物凄いペースで量的緩和を行いました。緩和前のマネタリーベースと比べると、英国で2.5倍、米国に至ってはなんと3倍です(笑)。これだけマネーを中央銀行の当座預金にジャブジャブ落とし込んだのですから、さぞや金融機関の貸出が増えて、マネーストックも増えたに違いない・・・と思うのが普通です。ところがどっこい、グラフを見れば分かりますが、青のマネーストックは全然増えていません。緑の金融機関の貸出に至ってはむしろ減ってしまっています。このデータをごくごく普通に結論付けると、


少なくとも米国、英国において量的緩和政策は国内のマネーストックと金融機関の貸出量を上向きにすることができなかった


ということです。これは「事実」ですから如何なる人であっても否定することはできません。2012年以降のデータはグラフにありませんが調べてみるとやはり目をみはるような上向きの変化は認められません。

 米国は量的緩和を終えて、今度は金利に目を向ける政策に入っているようですが、中央銀行量的緩和によって抱えることになった膨大な量の国債をどうするのでしょうか。中央銀行は国の一部なんだから別にバランスシートを気にする必要もなく国債なんて期落ちを待ってりゃいいよという考え方もあってある意味真実だとは思いますが、国民やG7に対する説明責任もあるしソブリン格付けなどの話もありますから色々と面倒ですね。米英の経済についてはまた別の記事でご紹介したいと思います。
 次回は日本の状況について紹介します。(黒猫翁)

橋下市長はなぜ藤井氏への反論書面を出さないのか?理由はあります

最近、今回の橋下市長との話題に刺激を受けてそのお相手である藤井聡氏の業績や言論の内容について調べているのですが、そのなかで早稲田大学原田泰(ゆたか)氏書面論争が行われていました。

 原田氏は「リフレ派」を代表する経済学者で、ついこの前、日銀の審議委員になった方ですが、公共事業の効果をとことん否定している学者で、藤井氏がアベノミクスの第一と第二の矢の組み合わせでデフレ脱却できるという学説を提唱しているのに対し、第二の矢である公共投資は少なくとも経済的には不要の施策であり、デフレ脱却の主役は第一の矢である金融政策、とりわけ量的緩和であるというのが原田氏の見解です。国土強靭化構想を国の施策に昇華させ公共事業を今後強力に推進しようとしている藤井氏にとっては白黒をはっきりさせなければならない論者の代表的存在といえますので、あえて書面論争に踏み切ったのだと思います。一連のやり取りは下記「月刊VOICE」の記事(時系列)に詳しいので、経済問題に興味のある方は是非ご覧ください。(本件に関係する記事は別の機会にご紹介したいと思います。)

[藤井氏]

[安倍景気の行方] ついに暴かれたエコノミストの「虚偽」〔1〕 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

[安倍景気の行方] ついに暴かれたエコノミストの「虚偽」〔2〕 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

[原田氏]

[アベノミクス第二の矢]ついに暴かれた公共事業の効果〔1〕 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

[アベノミクス第二の矢]ついに暴かれた公共事業の効果〔2〕 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

[藤井氏]

【藤井聡】原田泰氏の反論を「検証」しました。 | 三橋貴明の「新」日本経済新聞

[藤井氏]

アベノミクス「第二の矢」でデフレ不況を打ち抜け | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

[原田氏]

アベノミクス「第一の矢」でデフレ不況を打ち抜け | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

 素晴らしい論争だと思います。如何せん学者同士の議論ですから当然専門的で理解しづらい部分もありますが、丹念に読めば言わんとしていることは分かりますので読者なりにどちらの見解が正しいか判断することができます。

橋下市長もこれをやればいいのです。とりわけ論点ははっきりしていますし(「7つの事実」のみ)、難しい専門知識もほとんど要らず、別に橋下市長が学者じゃなくてもできるはずです。またあえて論争と銘打つのもおかしなくらい単純な争点ですから、質問に対する回答という形をとっても構わないでしょう。まっとうな大阪市民であれば不毛な罵り合いの公開討論で両者リングアウト負けの結末を見せられるよりもはるかに有益な対応だと思います。

 

 こんな優れた方法があるのにもかかわらず一切乗ろうとせず、代わりに罵倒やこき下ろしの言葉を公開の記者会見で口にし(名誉棄損といっても過言ではありません。)、大阪維新の党名で相手の上司に意見書を送り付け、公開討論に応じなければ国会で維新の党の議員に本件を取り上げさせるなどと強弁する。これは自治体の長というよりそもそも国民・県民・市民として正しい振る舞いといえるでしょうか。

 さらにいうとネット上では、維新の党や橋下氏個人の支持者らしき一部の人から「公開討論から逃げるな」という一点張りのコメントが大量に流され、それに刺激された一部のマスコミが週刊誌のような煽り記事を掲載し、これがさらに匿名のネット住民による人格攻撃をエスカレートさせる・・・といったことが行われているようです。橋下市長が藤井氏の指摘に対する回答を持ち合わせていないとすれば、この状況は非常にありがたいでしょう。なぜなら池の水面をばちゃばちゃさせて水中を泳ぐ鯉の居場所を隠すようなもので、大阪市民に知って欲しくないことから目を背けさせることができるからです。

 また、ネットも含めて大阪市長側の一連の反応は、もう一つ重要な効果をもたらしています。それは「言論」を封じ込める圧力になってしまっていることです。普通の一般人がこれだけ徹底した嫌がらせを受けると社会生活に支障が出てくるのを恐れて口を閉じがちになるのが当然ですから、いくら市長が圧力などかけていないと強弁しても常識的には納得してもらえないでしょう。権力による言論封殺というのはパワーハラスメントと似ていて、加害者が何と言い訳しようと被害者が圧力と感じた時点で成立すると考えられるからです。施政者の言動や品格にうるさいところであれば解職請求(リコール)の声が高まってもおかしくない程の有様ですが、選んでしまったものは仕方ありません。

 それにしても大阪都構想の正味の議論がこれまでほとんど行われてこなかったのはいったい何故なのでしょうか。

 もちろん都構想自体は大阪ローカルの話とされていて直接の利害関係者以外は関心を持たれなかったことが大きいとは思います。ですが、橋下市長が府知事時代から強力に推し進めてきた案件でもありもっと広まっていて然るべきところ、二重行政の解消というキャッチフレーズだけが先行していて、市民や府民にとってのメリットやデメリットの議論が全くといっていいほど深まっていません。これは構想を提案している側の不手際ではないかと考えます。橋下市長はタウンミーティングを何度も開催していて理解は広まっていると発言されていて、私も動画をいくつか拝見しましたが、残念ながらあれは「議論」ではありません。質問者に対してお決まりのQA回答を基に市長が一方的に高いところから演説しているだけでデメリットに関する部分がまったくといっていいほど深掘りされておらず、住民説明会にありがちなアリバイ作りという側面は否定できないでしょう。

 要するに橋下市長が2010年に都構想を打ち出して以来5年ものあいだ、デメリット情報については市長側からまともな説明が一切されておらず(木で鼻を括ったような数行の役所説明はありますよ。)また、別の団体や個人が指摘したデメリット情報についても市長が真正面からスポットライトを当てて議論を深めたことが一度もないのです。そのような情報は大阪市民には行き渡らずネットの片隅で埋もれていき、市長の定例記者会見で耳障りのいい発信情報だけが市民の頭に蓄積されていきます。信じられないでしょうが事実だから困ったものです。
 そして投票まで2か月半に迫った現在ですらその状況は大きく変化していないと思います。むしろ情報を隠そうとする姿勢が露骨になってきたのではないでしょうか。大阪市職員に対する取材応対禁止を求めたことは実に驚くべきことです。さきほど不手際と申し上げましたが、藤井氏に対して回答を出そうとせず、その代わりに同氏に浴びせかけている不快な言動からすると「故意」にそうしていると疑わざるを得ません。中国のような国家と比較すべくもありませんが、橋下市長はもはや中国流の「情報統制」の世界に踏み込んでしまったのではないかと老婆心ながらとても心配しております。
 もっとも藤井氏に関していえばまったく臆することなく、これほどの橋下市長からの嫌がらせに対し発言を控えるどころか、なんと専門のサイトを立ち上げて、以前よりさらに強力な言論活動を展開しておられます(笑)。藤井氏のこの努力によって大阪都構想の問題点を初めて知った大阪市民もどんどん増えているに違いなく、情報提供の観点から素晴らしいことです。逆に市長にとっては藪をつついたらしゃべる大蛇が大暴れし始めたようなものでまったくの大誤算でしょう。


 問題は新聞等のマスコミの対応だと思います。大阪市の定例記者会見の動画をいくつか拝見すると、前日に橋下市長に対する批判的な記事を掲載しようものなら会見で名指しで一方的に罵られたり出入り禁止処分にされたりするのですから如何に海千山千の取材記者といえども筆勢が鈍るというものでしょう。あれは取材を「受ける側」から「する側」に対するパワハラの一種です。許認可権を持つ役人が事業者と応対するときの態度とそっくりで不愉快このうえなく記者の方々にはお気の毒な気持ちもありますが、これを我慢していることは橋下市長の露骨な情報統制にはっきりと加担していることになります。仮にもジャーナリズムを標榜した報道機関としてそんな情けない状態でいいのでしょうか? マスコミがこのまま口をつぐんだままで5月17日を迎え、情報不足が原因で大阪市がとんでもない事態になった場合、大阪のみならず日本全国の世論は今度こそ全マスコミを許さないでしょう。報道各社は横並びで一斉に立ち上がるべきではないかと思います。

 大阪市民にとっては5月の投票日は「得をするか損をするか」の分水嶺です。すべての投票者が大阪都構想(正確には協定書の内容)の功罪を漏れなく知悉した上で正しい投票行動をとるべきと思います。少なくとも「維新の人らが太鼓判押してるからマァ特に損はせんやろ」といった軽い気持ちで投票したら後でとんでもないことになる可能性があることを大阪市民の皆様に心に刻んでいただけますよう祈念しています。(黒猫翁)

藤井内閣参与と橋下大阪市長の戦い方はとんでもなく違います

マスコミは分かり易い構図が大好きですから「バトル勃発継続中!」などと煽りたがりますが、その後の経緯を追っているとお二人の反応は全く噛み合っていないことが分かります。

 お互いの主張が論争の進展によって錯綜してきたということではなく,まったく論争が行われていないという意味です。今の構図は,藤井参与がサイトなどで「7つの事実」に関する論理的な見解を求め続けているのに対し,橋下市長は「答える価値もない」といわんばかりの態度で完全に無視を決め込んでいる構図になっています。バカ学者の戯言というイメージ戦略だけで5月まで逃げ切ろうとしているとしか思えません。これまでの市長の対応をウォッチしてきた感触からすると、おそらく・・・ですが、橋下市長は今後藤井氏からの問題提起に真正面から回答するつもりはないと思います。前回の関西空港がどうのこうのという説明?で終わりにしようと考えているのではないでしょうか。なぜならその後、マスコミからのツッコミもなかったし、「筋が違う」と指摘した平松元市長の反論も短すぎてネット上で全く話題にならなかったからです。常に全体の雰囲気というか「聴衆のベクトル」にアンテナを張っている人ならば、あえて寝た子を起こさずにこれで静かに店じまいという判断をしている筈だと思います。今後の対応としては,また藤井氏が何か目立つ動きをしてきたら,市長お得意の定例会見で「自らが答える価値もないバカ学者」「度胸があるなら公開討論」という眼くらまし戦術を乱用し軽く流してしまおうとするでしょう。少なくとも私にはそう見えます。
 実は関西空港の話は膠着した状況を動かし,議論を前進させるチャンスでした。市外への流用という言葉に初めてスポットライトが当たったからです。虎の子の機会を逸したといえばいえなくもありませんが,藤井氏としてはチャンスを活かす強力な方法がなかったことも事実です。もちろん藤井氏は関西空港の話に関して,17日、サトシフジイ・ドットコムのサイトで論理的な反論をされています。同氏としてできる最大限の言論活動だと思いますが、如何せんこの記事を果たしてどれだけの大阪市民が目にしたでしょうか(ちなみにレベルの違う話で恐縮ですが,私も前日同様の反論記事をアップしていましたが日本の誰にも読まれませんでしたw)

 橋下市長が会見で発言したことは新聞,テレビなどですぐに取り上げられお茶の間に生の声として伝わりますが,藤井氏のネット記事が大阪市民の有権者の耳目に届くためには実に数多くのハードルがあります――有権者が,まず第一にインターネットができること,大阪都構想に関心があること,ネットを検索する時間があり労力を厭わないこと,その上でたまたま藤井氏のサイトにアクセスできる幸運を持っていること,活字が読め記事を理解できるリテラシーがあること等々です。これだけの条件をクリアできる人となると人数はかなり絞られてしまいます。これを踏まえると,今回の反論に限らず「7つの事実」も含めた藤井氏の見解を知っている大阪市民はきわめて少数派であって,逆に橋下市長の言説は広く市民に浸透していると考えるのが自然です。橋下市長は藤井氏が「権力による言論封殺だ」と指摘したことを受け,「藤井参与自身も内閣の権力側に居る」と発言しましたが,百歩譲って仮にお二人とも同列の権力者であったとしても一般市民への発信力という意味では勝負にならないくらい不平等な差が存在しているのです。残念ですがこれが世の中というもので,致し方ありません。難しいですが言論を広めるためのさらなる工夫が求められるでしょう。

 

1 サイトのさらなる改善
 藤井氏の武器はその緻密的な頭脳とネット上の良識派?の方々の絶大な支持だと思いますので,今やられているブログ記事を利用した言論活動は,冷静な情報提供という意味においても非常に有効だと思います。あえて欲をいえば,次のような改善策が考えられるでしょうか。


◆「7つの事実」を理解するための前提となる基本知識(県や市の予算とは,政令市とは特別区とは,2200億円の内訳とは・・・等々)がブログに書かれていないため,前知識のない人には若干理解しづらい部分があるのではないでしょうか。手間がかかりますが「解説コーナー」のようなものを作るか,あるいは語注として他ページへリンクを貼るかすればもっと分かりやすくなると思いました。

サトシフジイ・ドットコムのページにSEO対策(キーワード最適化,相互リンク,バナー作成等々;検索エンジン最適化のこと)を施しているかどうか分かりませんが,これを強化すればページアクセスがさらに増えるかと思います。簡単ではありあませんが例えば「大阪都構想」のワードでGoogle検索したときにトップページに出てくるようになれば巨大な効果が得られます。

 

2 マスメディアの活用
 大阪市有権者には様々な職業・年齢の方がいて,すべての方がインターネットを情報獲得のツールとして使っているとは限りません。年齢の観点でいうと,すべての年齢層でもっともニュースの入手に利用している媒体はダントツでテレビです。ちなみに50台以上の年齢層は投票率が高いのですが(46回衆院選挙の例:66~78%)特に退職した60台以上の方は視聴時間が極端に長いこともあり、テレビの宣伝効果は二重丸です。

 インターネットで情報をとる人は40台以下の若い層に多い傾向があります。ですが,ネット内の玉石混交の情報群から藤井氏の記事を探し出すのは骨が折れると思いますし,そもそも40台以下の若い人たちは投票率がなぜか異様に低い(35~57%)のでその効果は意外と小さいでしょう。前回の衆議院選挙においてネット上では「次世代の党」が優勢だったのに実際の選挙では壊滅してしまったのはこういった理由があったと推察しています。

 テレビに次いで利用頻度が高いのはインターネットよりやはり今でも新聞です。30台以下の若者は半分くらいの方しか新聞を読みませんが,50台以上の人になると9割程度が読んでいます。50代以上は投票率の高い世代ですのでテレビと同じくらい二重丸ですね。さらにいうと,時間が過ぎたら見れなくなってしまうテレビ番組と違い,新聞はいつでも読めますから記事が有権者に届く確率はぐっと高まります。藤井氏はおそらく新聞業界などにも知り合いが多いと思いますのでインタビュー記事などの掲載をしてもらったら「7つの事実」が大阪市民に一気に広まるのではないでしょうか。ちなみに産経新聞ですと大阪市で16万部くらい出ています。(他紙はデータがありませんでした。)

 ついでにいうと、新聞掲載はタイミングが非常に重要です。2月の下旬あたりに池上彰さんが橋下市長と公開討論をするかもしれないという噂があって、池上氏がどんなスタンスで市長に迫りどんな落としどころを考えているのかまったく見えないので、もしそうなれば、藤井氏の新聞掲載はそれよりずっと後のほうがいいと思います。5月頭くらいの掲載であれば、ほぼすべての反論に再反論することができます。

 

3 その他の活動
 講演会を開けば生の声を市民に届けることができます。ただし,橋下市長の講演会や大阪維新の会による野次などの妨害行為が予想されますので事務局対応のやり方には少し気を遣う必要があるかと思います。また,選挙に類似した活動というと街頭演説スティングが定番でしょうが,もし大阪市内に支援団体があれば彼らへの協力という形で行うのが自然でしょう。

 

 いずれにしても,すべての言論活動の基本とすべきは大阪市民が得するのか損するのか?」を強調することではないかと思います。「損になる」あるいは「損するかもしれない」ことが分かったら大阪に限らずどこの市の人でもまず都構想に賛成する人はいないと思います(厳密にいうと都構想というよりも政令市廃止に対して、です)。もちろんその際には、相手は「大阪府民」ではなくて「大阪市民」であることを決して忘れてはいけないでしょう。

 私自身は他県の人間ですが、この件に関しては本当に大阪市民に正しい判断をして欲しい気がします。一人の施政者のアンフェアな進め方のせいで後悔するようなことがあっては、投票した人たちだけではなくて将来の大阪市の子供たちにも「損」を背負わせてしまうような気がするからです。(黒猫翁)

これまでの橋下市長の反論について

2月14日の記者会見で橋下大阪市長は、公開討論については「やっても大体結論は見えている」ので今後は討論を求めていかない旨発言したようです。

【橋下氏語録】藤井教授とのバトル混戦模様…「びびらずに仲間連れてきて」と挑発気味に公開討論要求 “参戦”平松氏「趣味に付き合わない」 (1/5ページ) - 産経WEST

ですが、そこで止めておけばいいのに、その後の記者の煽り質問に乗せられ、藤井氏が望む人数・形式で公開討論を申し込んできたら一人で相手をしてやる――「もっとびびらずに仲間を連れてこい」といった趣旨の発言を引き出され、結局何をいいたいのかわからない、単に自身の感情をぶちまけるような記者会見になってしまいました。泥沼の口撃戦という路線で話題を盛り上げたい記者たちは内心ほくそ笑んでいたでしょう。

 それにしても市長の言葉の使い方たるや相変わらず眉を潜めたくなるような喧嘩腰で、(失礼ながら)逆に市長の態度のほうに「小ちんぴら感」が増幅されてきたという印象を受けた方も多いのではないでしょうか。まだお若い方なので、内閣の菅官房長官のような海千山千の答弁ぶりをお手本にしろとは言いませんが、マスコミの煽りに簡単に誘導されないよう、ある程度答弁をコントロールするスキルを学んでほしいと思いました。

1 公開討論という形式が是か非か?

 「びびらないで討論から逃げるな!」というのを基本的な攻撃スタンスにしているようですが、過去に行ってきた市長の「討論の作法」はどんなものであったかはインターネットで確認することができます。
 この記事を書くにあたって、少し前に在特会という政治団体の人と橋下市長が公開討論をしている動画を初めて拝見しましたが

 橋下徹vs在特会・桜井誠 【全】10/20 - YouTube

額を机に打ち付けるほど後悔しました。有益な情報もなにも得られず、只々不愉快な気持ちになっただけです。あれが市長のいう討論だとすると正直いって軽蔑の感情すら湧いてきます。件の藤井氏が公開討論を受けたとしても、市長の記者会見での喧嘩腰の態度を外挿するならば結局在特会の人が藤井氏に置き換わるだけになってしまうことは容易に想像でき、市民にとってこれ以上の時間の無駄はないでしょう。


 自民党市議の柳本氏との公開テレビ討論の模様もネットで拝見しました。

橋下市長vs柳本市議*大阪都構想SP by Voice - YouTube

先の動画と比べるとホッとするような構成で、橋下市長も柳本議員も事前に分かり易いパネルを用意しておられて視聴者に訴えようという真摯な姿勢が感じられました。ですが、「1分で説明してください」という時間制約のせいか、議論はまったくといっていいほど深まらず、視聴者も何が問題なのか理解に苦しんだのではないかと思います。お互いの主張を早口で喋り合っただけの意見陳述会に近いものがあって、せっかくの貴重な討論の果実は結局「ゼロ」だったのではないでしょうか


 議論や討論というのは主張のキャッチボールができる十分な環境、そしてプレイヤーの知性と協力姿勢がなければ決して前へ進みません。お互い髪をふり乱して投げまくる雪合戦になってしまっては論点は曖昧になり真実はさらに遠くなるばかりですし、顔を背けた2体の人形が順番に意見陳述し合うだけのイベントでは議論が噛み合わず新しい情報の果実を掴むことはできません。


 今もっとも求められていることは、藤井内閣参与が提起している「7つの事実」に対して、都構想の提案者である橋下市長が、間違っている点を細部に至るまで冷静に指摘し論点をはっきりさせることです。そして論点がはっきりしたら、もっとも効果的な方法でお互いの反論・再反論を積み上げていく。そうすれば最終的には双方が満足できる結論に辿り着けるはずです。公開討論という形式には、たとえどれだけ環境を整えたとしても必ず「嘘」「ブラフ」「目くらまし」等々――数多くの誤魔化し戦術が付きまといます。今のような「一方の主張する単純な事実が正しいかそうでないか」という問題を解決するためにもっともふさわしい議論の形式は、論点を絞りやすい「書面による論争」ではないかと思います。

 

2 橋下市長のこれまでの反論

 橋下市長が同じ記者会見で、大阪市が(市外にある)関西国際空港などへの出資も行っている点を指摘し、「藤井氏や平松前市長の指摘をばっさりと切り捨てた」という報道がありましたが、思わずう~んと唸ってしまいました。感心したわけではありません。あまりにも露骨な「論点ずらし」であって市民や視聴者を煙に巻いてやろうという魂胆が見え見えだったからです。
 市長の主張は、大阪市からは市外へのお金の流出は今でも行われているのに藤井氏等はそんなことすら知らない――という趣旨の反論なのですが、誰でも知ってますよ(笑)。勝手に「知らない」と決め付けているだけです。だけどそんなことは藤井氏らの主張の論点とは何の関係もない話で、議論の遡上に乗せなければならないような価値のある事実ではありません。会見の場にいた記者が誰一人更問をせず、そのままスルーして記事を書いたことには頭をひねってしまいました。なぜなら、大阪市民も他の市と同じく恩恵を受ける広域行政施設にお金を拠出することは別に空港じゃなくても当たり前の話で、そんなことは普通の理解力があれば常識だからです。逆に大阪市がお金を出さなければ大阪市民は関西空港を利用する権利はないという声が出てしまうではありませんか(笑)。つまり、橋下市長は、市民の利益になる(市外の)施設にお金を出している(誰に言われなくても至極当然の)事実をあげたにすぎず、藤井氏らが問題としている政令市の特権として得ている財源(児童・老人福祉、道路整備等々の用途として使われる税金)の使途の話と何の関係もありません。それとも、今までも政令市の税金が空港施設などにお金が流出してるのだから同じように政令市の特権財源が市外に流出してもおかしくないと言いたいのでしょうか? もしそうだとしたら(特権財源が府に召し上げられそれが市外に流出する)という藤井氏の指摘を完全に受け入れていることになってしまいます。これは大阪市の「サービスの質を落とさない」「政令市時代に受け取っていた特権財源は減らさない」という趣旨の声明(担保付のコミットメントでないことが藤井氏の指摘する重要論点です。)と矛盾しますので、まああり得ないでしょう。
 重ねて言うと、平松氏や藤井氏は、政令市の特権財源がなくなりますよ、児童・老人福祉や道路などにかかるお金は府から予算を配分される形になるので今より減ってしまう可能性が高いですよ、他市との横並びでサービスの質が下がったり市民の税金が他市の予算に回されたり府の借金返済に使われたりすると考えるのが自然ですよ、という話をしています。それなのに突如「政令市の全歳入から特権財源を引いた残りの歳入の使途」のほうに話を逸らして「ここから大阪空港に使われているじゃないか知らなかったのか」などというトンチンカンな話を紹介して高笑いをされてもポカンとして「えっと・・・アンタ・・・話聞いてましたか?」としか言いようがありませんよね(笑)。平松元市長は説明するのも面倒だったせいか、苦笑して「筋違いだ」という紳士的な感想を述べられたようですが、もっと一般向けにはっきりと指摘してあげたほうがいいと思います。少なくとも橋下市長レベルの辛辣さがないと市民にはどっちが正しいことを言っているのか分からないのではないでしょうか。


 ここまで書いてきて、橋下市長はひょっとして藤井氏の「7つの事実」を否定できないことを誰よりもご存じなのではないかという気がしてきました。「7つの事実」が公表されて日も経つのに、上で述べたような頓珍漢な反論しかできず、「相手が公開討論から逃げている」というイメージ戦略だけで戦おうとしているからです。こうした場合に公開討論を開くと、先の在特会の例にような代物になることはまず間違いありません。理屈で絶対勝てない相手には、感情を刺激して場外乱闘、両者引き分けのイメージを市民に植えつけるしか勝ち目がないからです。橋下市長の「7つの事実」に対する論理的な説明・反論が欲しいところです。

 

3 その他の方の反論

 あとは嘉悦大学高橋洋一氏が藤井氏の「7つの事実」に対する反論を書いておられます。

橋下徹・大阪市長vs.内閣官房参与の 大阪都構想めぐるバトルが、案外面白い | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]

これは少し前のもので、大阪市などから「サービスの質は落とさない」との説明がされているので市民の生活は変わらないという指摘でしたが、すでに藤井氏から反論が出されています。

高橋洋一さんとの政策議論 サトシフジイドットコム satoshi-fujii.com

郵政民営化のときの政府説明(国民からすれば約束)がほとんど無視されている現状から考えると、十分な根拠と担保が示されない公的主体の約束は「無きに等しい」ものだという趣旨だったかと記憶していますが、高橋氏の再反論は現在のところありません。高橋氏は大阪都構想の擁護者ですが、今回に限っていうと反論は成功しなかったと考えます。ただし、このような書面(記事)による論理的な論争は非常に有益で、橋下市長のこれまでの反応と比べると雲泥の差が感じられます。さすがは小泉政権でとにもかくにも経済を支えてきた実績のある方だと思いました。

 

 2月16日の国会で、安倍首相の答弁のなかで二重行政を解消するための大阪都構想は意義あることという趣旨の発言がありました。都構想自体は国の行政にあまり関係ありませんので、憲法改正などに関する維新の党の票が目当てのリップサービスかもしれませんが、橋下市長にとっては勇気百倍の援護射撃だったでしょう。これがもし地方の自民党の組織票に結び付けば5月の投票は橋下市長側に大きく傾くでしょう。こういう状況であるからこそ、藤井氏の「7つの事実」に対する大阪府大阪市の見解が明確に打ち出され、投票の当事者になる大阪市民に十分で正しい情報が与えられた上で5月の投票日を迎えられるよう心から祈念しております。(黒猫翁)

 

橋下氏の賛同者はナイーブな方が多いと思いました

藤井氏への攻撃にこういうものがありました。

 

<こチンピラ>藤井聡が橋下市長との討論から逃亡 - YouTube

 

これは2月10日にアップされたバージョンですが、この動画自体は藤井氏が本件について情報提供するために立ち上げた「サトシフジイドットコム」の表紙に張り付けられている動画とほぼ同じものです。
 注目してほしいのは動画ではなくて、表題とコメント欄です。表題がなんと、

「<こチンピラ>藤井聡が橋下市長との討論から逃亡

と書かれています。そしてコメント欄には驚かされると同時にこの動画を投稿した人とコメントを書いた人々に対するいいようのない嫌悪感が溢れてきました。どんなことが書かれているか要約して紹介しましょう。

 

・権力を都合のいいように使うな、ホームラン級の屑。化けの皮が剥がれたということだ。
・口のうまいマルチ商法の営業マンに見えて仕方ありません。誠意が感じられない本当に京大教授?内閣参与?7つの事実で大阪都構想を否定するな。情けない
・内容が支離滅裂。早く参与の職を更迭しないと政権にキズがつく。
言論人にとって討論会は試合でありルールのある喧嘩である。
・人前で堂々と討論しないとダメ。表舞台に出てない。大学という機関に守られて中傷をしてきた。
・(テレビで討論した)柳本議員のように橋下さんを褒めてる方多いですよ。読みが甘かったですね。
ヘドロさんも一騎打ちならいいと言ってたじゃないの。何とかの遠吠えなのでほっときましょう。
すべてが嘘くさい人だね。
・この論理を展開する人が大学教授になれるの?どこの大学?
最低のクズ野郎やわ。自分が内閣の一員であることは完全に隠ぺいしてる。
・(公開討論で)コテンパンにやられるのが自分でもわかってるか逃げてるだけだろ。かっこわる。
ヘドロ藤井

 

 自らの発言の根拠は何一つ書かれていません。クズ野郎と感じた理由は何か? 逃げてるだけと判断した理由は何か? まったく謎です。――完全な「罵倒」であり「侮辱」であり「究極のレッテル貼り」です。韓国関係で今流行り?の反日の方のネットなどでの言説(言論ではない)とほとんど同じくらいの低レベルです。ちなみにレッテル貼りというのは心理学の専門家である藤井氏はお詳しいと思いますが、ラベリング性向といって攻撃的な場面においては過去にいじめや虐待を受けたとか社会的に問題のある人に特に多出する現象だといわれています。当然のことながら相当お若い方が書いたものだろうと推測しますが、若いうちからこういう発言に慣れてしまっていけません。コメント欄の誰かが藤井氏のことを「」と表現していましたが、おそらくその人が大人になったら逆に自分がまさにそういう存在になってしまう可能性について真摯に考えなければいけません。

 それにしてももっと腹立たしいのは橋下市長の対応です。今までにもこういう言説はありましたがずっと放置状態でした。私が橋下市長なら、こういう動画やコメントをアップしている人たちに対して「やめなさい」と言うでしょう。シンパという言葉がありますが、もし万一彼ら若者が橋下氏の擁護者ならばできるだけ早く切り捨ててしまったほうがいいかと思います。橋下さんにとってマイナスにこそなれ一つもプラスになっていません。あんなコメントを見て「よっしゃハシモっさんに一票いれたるか」と思う市民が一体何人いるでしょうか? 彼らコメントの若者は「言論の自由」などと嘯くかもしれませんが、嘘や侮辱や自分勝手なレッテル貼りを言い放つ自由はないはずで、ましてや私を含め所詮アノニマスな人間がそれをやりまくる自由などあり得ません。(黒猫翁)

政令指定都市をやめるべきかどうか

政令指定都市から外れて普通の市に戻るというのはどういうことでしょうか。
これは逆から考えると理解しやすいと思います。つまり

政令指定都市になることで市はどう変わるのか?」

を把握することです。普通の市に戻るということはこれの逆の影響があると思っておけばいいわけです。政令指定都市(=政令市)になると一般的には次のような変化が起こります。

1 今まで県がやってきた業務のうちかなり多くの業務を市で行うことになります。具体的には児童福祉生活保護、老人福祉等々ですが、国道や県道の管理なども入ってきます。市役所は仕事が増えて大所帯になってしまいますが、今まで県全体のなかで平均的かつ横一列の感覚で行われてきた業務を市自身がやれますので市民目線に立った細やかなサービスができるようになります。

2 当然のことですが、増えた業務を遂行するという名目で財源がドカンと増えます。事業者税道路特定財源ガソリン税とか自動車重量税)、宝くじ収益金などは直接市に入ってくるようになりますし、これまでの実績からすれば国からの地方交付税も増額される傾向があります。県のお代官様からおこずかいをもらって家計簿でやり繰りしていた時代と比べると雲泥の差ですね。

 つまり、今までより仕事は忙しくなるがその分羽振りが良くなって、ちょっとしたミニ県みたいになるわけです。もちろん「県のなかに県を作る」ようなものですから、同じ地域に県と政令市がほとんど同じ機能を持つ建物を建ててしまうこともよくあります。いわゆる二重行政というやつですね。逆にいうと政令市がそれだけ金回りがいいことの証明であり、市民にとっては選択肢が増えてプラスではないでしょうか。

 このように政令指定都市になるということは市に大きな利益をもたらすため、日本全国ではこれを目指している市は実にたくさんあります。熊本市がこの間ついに念願の政令市になりましたね。もちろん政令市指定までの手続きや役所の再整備などハードルは高いですが、これだけ人気があるということは政令市にそれだけ大きなメリットがあるということです。

 では逆に政令指定都市から普通の市に戻した場合はどうでしょうか。(なお、大阪都構想の場合、その「市」をさらにいくつかの「特別区」に分け、「市」を消滅させるわけですが、ここでは「政令市」→「普通の市」にしたときの影響を考えました。さらに区分けして自治体規模が小さくしてしまうと普通に考えてその影響はさらに悪化すると考えられます。)

 

1 数多くの業務がなくなり、代わりに県が行うようになります。県はその市だけではなくて全体に目を行き届かせなければなりませんので、その市だけを特別扱いはしてくれません。普通に考えればサービスのレベルは年々県全体の平均値に近づいていくでしょう

2 これまで直接受け取っていた財源分がすっかりなくなります。市で発生した税金はひとまず県に召し上げられ、県は他の市と不平等にならないようにお金を再配分します。たとえば政令市であったときは市民が支払ったガソリン税などは直接市が運用して市の道路整備などに使われていましたが、普通の市になると彼らのガソリン税は「県全体」の道路整備のために使われるようになります。もちろん市の道路にも恩恵が来ることことは否定しません。しかし、市民が支払ったガソリン税がすべて市のために使われ続けることはまずあり得ません。県は県全体の利便を考えるのが仕事だからです。

 一言でいうと政令市が普通の市に戻ると市民は損をするといわざるを得ないでしょう。そもそも得をするのであれば全国の多数の自治体が我も我もと政令市を目指す理由がありません。逆に県や他の市の人々は得をするでしょう。今まで政令市の市民が稼ぎ政令市内でのみ消費されてきた税金が自分たちの市にも回ってくるようになるからです。県に至っては新しく獲得した元政令市からの収入を一部、地方債などの借金返済に回すことすら可能ですね。

 政令市であることの恩恵を維持したまま政令指定を外せないかという命題を考えた場合、まず市からあがった財源を当該市にのみ振り向けるための強力な財務システムが必要になります。当該市用の特別会計を作るのは当然のことながら、さらに厳重な監査機関を設立し多くの監査員を新たに貼り付けるといったイメージですかね。ただしこれは本来県が県民のために自由に使ってよいお金を特定の市に貼り付けるという――超が付くほどの異例の措置になりますから、少なくとも県による条例化が必要でしょう。それくらい恒久化を図っておかないと、気が付いたら「政令市のときより悪くなっているじゃないか」ということになりかねません。というよりそれが自然な流れです。また条例ということになると今度は他の市が黙っていないでしょう。当該市だけを何故そんなに特別扱いするのか?という話に当然なるからです。事はそれほど単純ではありません。そもそもこのような「特別に優遇された普通の市」を新たに作るくらいなら政令市のままでいいのではないでしょうか(笑)。

 一般的な考え方からすると、県が政令市を廃止したいと考えるのは至極当然ですが、市の側からわざわざ魅力的な行政形態を捨てようという動きには理解しがたいものがあります。二重行政をどうしても撤廃したいのであれば、その都度県と相談して重複のない予算執行を心がければいい話ですし、結果的に重複してしまってもそれが市民にとって便宜性が向上しこそすれ致命的なマイナスになるとはとても思えません。もし現実に政令市指定を捨てようとする政令市長がいるとすれば、それは完全に県全体の目線で自らの市を捉えている方ではないでしょうか。市に住む人は市民であるとともに県民でもありますが、市長というのは市民の利益を最大化するために選ばれた人ですので市民の目線から政策を行わなければならないと考えます。

 大阪市で行われる5月の投票は大阪市民にとって大きな岐路になるかと思います。政令市のままで色んな問題を少しずつ改善していくのか、あるいは政令指定を外し普通の市として再出発するのか――どの道を選ぶかによって10年先の姿には恐ろしく大きな違いが出てくると思います。大阪市は橋下市長の政治団体の勢力が強いし、まだまだ市長の人気も高いと聞いておりますので後者が過半数を取る可能性は高いかもしれません。また、何らかの理由で他党の組織票が動けば後者の選択に大きなバイアスがかかるかもしれませんが、投票率が高くなれば結果はまだわからないでしょう。いずれの選択肢を選ぶにしても大阪市民の方々には悔いの残らないような投票になりますよう他県からひそかに祈念申し上げます。(黒猫翁)