黒猫翁の言いたい砲弾

新聞やテレビを賑わしていることについて思ったことを書いていくページです。公開の備忘録?ですかねw

藤井聡氏に対する維新の党の対応ぶりを分析しました(4)

 3月6日に維新の党名義で京都大学山極総長に対して再度文書が発出されました。市長の新しい論点です。(怒りながら書いたからだと思いますが・・・)公式文書のわりには文章が継ぎ接ぎで論旨が非常に分かりにくいので、噛み砕いた形でご紹介します。
原文はこれです。

https://ishinnotoh.jp/activity/news/2015/03/09/20150306_news.pdf

◆京大総長への2番目の公式文書(FROM維新の党)
「藤井教授の「(自称)中立」の意見を拝聴したいので、同教授に対し、維新タウンミーティングに出席するよう大学総長として指示せよ」
【理由】
(1)彼は大阪都構想に反対している自民党の集会などで何度も講演を行っている。「中立」を公言しているからには維新が主催する集会を例外にするのはおかしい。

(2)藤井氏は「肩書き」を名乗り「学者として」の所見を流布している。こうした場合、外形標準説によれば「その組織を代表する人」として見なされ、その活動はもはや個人の活動ではない。(注:橋下市長は2/22の党大会スピーチで同内容に触れています)

(3)~いうことは藤井氏の活動は組織(=京大当局)の活動ということであり、彼の活動はイコール「職務」の一部ということに他ならない。組織は同様の「職務」を藤井氏に対して指示することができる。

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 かなり勝手な意訳で恐縮ですが順番に考えてみたいと思います。

(1)要するに「中立」と公言しているなら都構想賛成派の集会にも反対派の集会と同様の扱いにせよ、ということですが、前回の記事でも述べたように藤井氏は協定書案には明確に「反対」であり、中立を公言したことはありません。ですのでそもそも維新の党の主張は的外れということになります。

(2)外形性については、昔小泉総理の靖国参拝が公人か私人かという(ある意味くだらない)訴訟があったのでご存じの方も多いと思いますが、要するに「職務外の行為でも周りの人から見て職務遂行中と誤解されても仕方のない外見上の特徴があれば職務とみなす」という考え方です。たとえば社用車を無断で乗り回していた社員の行為などがこれに当たります。訴訟などの場ではケースバイケースで判断されますが今の場合はどうでしょう? 藤井氏の大学教授としての職務は、学生の教授・研究指導及び自分の研究に従事すること(学校教育法92条)であって、性質上、職場外・勤務時間外の活動は「職務」になり得ません。どこかの大学教授が、勤務時間外に大学キャンパス以外の場所において肩書き付きの学者として講演を行ったとしても、これをもって学生の研究指導の目的で行われていると見なす人は皆無でしょう。またこの教授には通常いくばくかの講演料が主催者側から支払われるはずですが、これが職務の対価として京大当局から支払われると考える聴衆がいるでしょうか。たぶんほとんどいないでしょう。ということは聴衆はこの大学教授の行為を(当然の常識として)職務と見なしていない、ということです。外形性は成立しないと思います。

(3)外形説による「使用者責任」のことを言っているのでしょうか? これは「外形的に職務と見られる行為はその使用者(組織)の使用者責任を問うことができる」というものです。民事訴訟で個人より会社に損害賠償請求したほうがたくさんお金がもらえると思った場合によく使われます。しかし使用者責任というのは法律的に不法行為があって初めて発生する責任ですので、今回の件はそもそも成立要件・・・というより前提そのものが存在していません。
 また、「大学教授による肩書き付きの言論行為は職務の範囲内であることから、大学当局が責任を有し、その行為を指示することができる」という維新の党の解釈が正しいとすると一つ問題が出てきます。大阪府及び大阪市の特別参与に上山信一という慶応大学教授がおられますが、この方は維新のブレーン中のブレーンと言われている有名な人で、一時期大阪維新の会の政策特別顧問を務めていました。その言論活動は活発で、たとえば以下のようなものがあります。

さあそろそろ次の総選挙の準備を始めるか

大阪都構想は制度変更ではなく改革の始まり

 軽く一読頂ければ分かりますが、大阪都構想維新の党に対する礼賛に満ち溢れているといっても過言ではないでしょう。この教授は少し前に流行った新自由主義経済の推進者であるとともに、紛れもなく「維新の党」の強烈な支持者(というより創始者?)です。ここで維新の党の解釈からすると、慶応大学教授という肩書きを用いている上山氏の言論行為は外形的に職務であり、その内容についても慶応大学当局に責任があることになります。つまり、上山氏が「維新支持」の絶対的スタンスで職務行為を続けていることに対して責任ある大学側が長年にわたって何らの処置を講じていない、ということは「維新支持」を当局として認めているといわれても反論できないでしょう。ところが教育基本法14条では、
法律に定める学校は、特定の政党を支持してはならない
と定められています。法律に定める学校にはもちろん学校法人である慶応大学も入っています。これは慶応大学が法律上「政党中立」を義務付けられているにもかかわらず、その被使用人である教職員が職務行為のなかで特定政党の支持をしていることを事実上認めている構図になりますので、普通に法律違反になるでしょう。橋下市長と維新の党の外形説の主張は自らの理論的支柱ともいえる存在の行動を完全否定してしまう特大ブーメランになっているのではないかと思います。

 さて結果的に藤井氏はタウンミーティングでの講演を断りました。その理由として大阪維新の会でネット公開されている説明資料に事実の捏造を疑わせる記述があったからとしています。本当だとすれば一人当たり年間1億円近くの国民の税金をもらっている公党として存亡の危機に結び付く話です。ですが、そもそもそれ以前に職務外の個人の言論活動に関連して講演をお願いするのであれば社会人としての常識をわきまえた形でやるべきでしょう。「~~という理由で藤井氏は講演すべきであり、上司として指示せよ」などという文書を送り付けること自体失礼極まりない話であり、無視してもいいくらいのレベルだと思います。

 当初は対等で真っ当な議論の応酬を期待していた私としては非常に残念極まりない状況になっています。私自身は特殊なイデオロギーにはまったく関心のない一般国民ですが、「維新の党」の圧力団体(注)のようなやり口だけはちょっと許しがたい気持ちを持っています。この政党は一体なんのために活動し、そしてどこへ向かおうとしているのでしょうか。(黒猫翁)

 

(注) 今日発見したのですが藤井氏のサイトにまさにこの話題が掲載されていました。記事には全く同感です。

新潮45:『「橋下維新」はもはや“圧力団体”である』のご紹介|藤井 聡