黒猫翁の言いたい砲弾

新聞やテレビを賑わしていることについて思ったことを書いていくページです。公開の備忘録?ですかねw

ヘドロチック動画を見てみました。

橋下大阪市長と藤井内閣官房参与のやり取りが最近よく取り上げられています。

橋下市長の記者会見で言われていた「ヘドロチック」なる動画がどういうものか確認してみました。

http://www.shukannishida.jp/nishidavision-fujii.html

そしたら動画自体はなんと2年以上前の年代もの・・・(笑) 橋下氏も非難ネタとして使うのであればもっと新しいのを見つけてくれば良かったのでは?と老婆心ながら思いましたが、気を取り直して視聴してみた結果。。。

 

例のヘドロ発言の部分ですが、これは地域文化論ですよ。大阪全体が歴史のあるマチュアな(成熟した)地域であったところに、大阪市という小さな区域にたくさんの人間が密集してきて様々な思惑がひしめき合うようになった。その結果、藤井氏の比喩でいうところの「程よく腐った鯛のように」美味い文化を持っていた大阪市が一線を越えて腐りすぎた状態になっているのではないか――という主張であり、都市計画に造形の深い藤井氏の立派なひとつの学問的視点だと思いました。また、藤井氏は、大阪市以外の地域、つまり泉佐野、貝塚、岸和田などには美味いマチュアな文化が残っているとし、さらにいうと腐りすぎているのは大阪市の中の一部の人間であると付け加えています。
 実をいうと私自身も過去に大阪市近辺に長年住んでいたことがありますが、藤井氏の視点はなるほどと共感するところがあります。のちに九州、東北、関東へ引っ越しまして色んな地域の文化と接触してきました。なかにはお互いとてもよく似た町もあってその時々で懐かしい記憶が呼び覚まされましたが、大阪市という町についてはこうしたデジャブ感をついぞ感じることがありませんでした。良くも悪くも一種の特異点みたいな存在といいましょうか。

 一部だけを切り取った動画を見た方は、藤井氏が単に悪口を言っているように見えるかもしれませんが、全編を素の頭で見れば、橋下市長という政治家に対する健全な言論批判にはなっていても、どう斜めに見ても大阪批判ではありません。むしろ関西人独特の自虐ユーモアでくるまれた藤井氏の大阪への愛情のカケラすら感じられます。最近、「大阪の人間は藤井氏を許すな」といった妙な書き込みがネット上で散見されますが、ちょっと的外れな発言かと思います。

次回は本件についてもう少し踏み込んで考えてみます。(黒猫翁)