黒猫翁の言いたい砲弾

新聞やテレビを賑わしていることについて思ったことを書いていくページです。公開の備忘録?ですかねw

大阪都構想の投票までに言うべきことは言わないといけません

 久しぶりのブログ――。
 藤井氏の最近のご著書「大阪都構想が日本を破壊する」を読みました。維新の党のHPなどでこれまで主張してきたことが完全に論破されており、事実関係としてはこれで「勝負あった」というべきでしょう。(もっとも維新の党はこれまでも藤井氏の7つの事実に対して理性的な反論を何ひとつ行っていませんので、勝負開始のゴングすら鳴らされていないというのが実情ですが・・・)
 さて、こういう状況の中で、協定書の賛否を問う投票まであと2週間をきりました。事実関係だけで投票結果が決まるのであれば大阪都構想はすでに廃案入りしているといってもいいのでしょうが、残念ながら投票というのは必ずしも理性的な判断だけが反映されるとは限りません。
 ましてや橋下市長は、大阪知事選、府市ダブル選、市長出直し選という難しい選挙をすべて勝利してきた選挙活動のプロフェッショナルです。政策の内容がどんなに稚拙であっても、また、建設的な議論がいかほど苦手な人だったとしても、こと壇上に立ったときの演説のうまさにかけては右に出る者がいないといっても過言ではありません。大阪という土地柄も、私の経験上、それこそ「エモーショナル」な感覚で物事を決める傾向がありますので、これから投票日までに各陣営が行う演説やテレビ番組などのイメージ戦略の良し悪しが結果を左右するでしょう。
 いきなりですが、もし私が維新の党の支持者だったら――という仮定で、橋下市長用のキラー演説(笑) の草案を作ってみました。投票の前日に行うバージョンです。

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もうみなさん、明日の投票。新聞、テレビでは五分五分なんていってますが、あれは嘘です。明日、大阪都構想ははっきりいって負けます。(ここで支持者の笑い声を入れる)
 だってそうじゃないですか。僕がひとりであちこち回ってタウンミーティングを開いたりして地道な努力を続けているのに、反対派のほうは「売名目的の一部の学者」と「自由民主党共産党などの巨大組織」が結託して僕ひとりを攻撃してくる。そして人数にモノをいわせて、色んな場であることないことを言い触らしている。昔クラスに一人や二人必ずこんなヤツいましたよね。嫌いな子の悪口をこそこそクラス中に言い触らすヤツ。これにコロッと騙された人はつい反対票を入れちゃう人も出てくるでしょう。これはね。もう僕一人の力ではどうしようもない。だから明日は負けます。そして大阪都構想という改革は永遠に姿を消します。(ここで女性の支持者の「負けさせなーい」という声を入れる)
 僕が頭にくるのは、都構想に反対している人達のやり口です。彼らに共通していることは「まったく議論しようとしない」ことです。僕はタウンミーティングをこれまで○○回行っていますが、とにかく彼らは一度も来たことがないですよ。ただの一度もですよ。議論から逃げ回っている。それなのに僕が反対意見を封じようとテレビ局に圧力をかけているなんていっているバカな学者がいます。誰とはいいませんけど、この人ホントに学校の先生なんでしょうか? こんなくだらないデマを信じちゃいけません。よく考えてください皆さん。いろいろと酷い事を言われますけど僕は単なる市民の代表ですよ。「市長」だなんて偉そうな名前ついてますが結局のところ皆さんの下僕にすぎないんです。一方で彼らは、誤報や捏造で莫大なお金を稼いでいるテレビ局であったり皆さんの税金を年間5千億円ももらっておきながら偉そうに踏ん反り返っている国立大学法人の教授です。あまりにも巨大な組織。彼らから見たら僕なんかホントに微々たる存在なんです。そんな人間が圧力なんてかけられますか。たった一人で孤軍奮闘している市民の下僕にすぎない僕がたくさんの巨大組織を向うに回して圧力なんてかけられると思いますか皆さん。(支持者の笑い声を入れる。「テレビ局と大学を叩きつぶせ~」という声を入れる)
 僕は反対意見は歓迎します。これは物心ついたときからの僕のポリシーです。だけど反対意見があるなら正々堂々と議論して欲しい。僕がお願いしたいのはたったそれだけのことなんです。(支持者の拍手喝采。)
 残念ながら明日は、都構想に反対する人達にとっては歴史的な大勝利となるでしょう。逆に都構想という改革によって大阪を輝かせようと地道に努力してきた――僕たち維新の党ははっきり言って完敗します。ついでに僕という政治的存在もこの世から消えてしまうかもしれません。これはね、前に約束したことだから絶対に守ります。もしこの投票で負けたら僕はいさぎよく政界から引退します!(女性支持者の「辞めないでー」という声を入れる)
 それでもね、はっきりいって僕なんかの小さい人間の勝ち負けなんてそんなもんどうでもいいんですよ。大事なことは「大阪という街」が負けることがあってはならない、ということなんです。たとえ投票で残念な結果になろうとも「大阪を変えるんだ」という気持ちを失ってしまったら本当に終わりなんですよ皆さん。圧倒的多数の組織票ですので多勢に無勢かもしれませんが、それにたった一人で立ち向かう僕に少しでも共感を覚え、そしていつか必ず大阪都構想を実現させたいと思われた方は、ぜひ投票用紙に賛成と書いて頂きたい。これはコソコソと陰口を言い触らしている反対派のマジョリティの人たちに対する強い意思表示になります。そして何より、「橋下というしょうもない男はこの投票で消えたけど、大阪を変えようとしている人間はまだまだこんなに居るんだ!」という僕ら大阪人の心意気を、投票結果を見守る全国の人々に見せつけてやろうではありませんか。一矢報いてやりましょうよ皆さん。僕にとってこれがホントに最後になるかもしれませんが、大阪市にお住まいのおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そしてこれからの大阪を担う若い方々が皆手を取り合ってこの大阪を盛り上げてくれることを心から期待しています。本当にご静聴ありがとうございました。(支持者の「賛成票を入れるぞー」という声、拍手喝采)
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 (書いていて自己嫌悪に陥りそうでしたが・・・)都構想や協定書の内容のことにはまったく触れず、「卑劣な反対派の集団に囲まれながらも孤軍奮闘している自分」という絵姿を作って、エモーショナルな同情をかき立てる戦術をとるとこんな感じになります。事実じゃない事ばかりを並べ立てていますが、投票日に近づけば近づくほど、演説の内容の真贋は確認のしようがなくなりますので、すぐ分かる嘘でなければいくらでもホラを吹けます。
 実はこの草案は、昨年12月の解散総選挙の前日に橋下市長が行った街頭演説を下敷きにしています。これは「維新の党の敗北宣言演説」といわれているもので、いっとき神演説としてすごく有名になりました。この自虐演説?によって維新の党は総選挙で惨敗を逃れたとされており、その判官贔屓効果は実にすさまじいものがあったようです。維新の党は今回の投票でもこれを使ってくる可能性があると思いましたので、例としてご紹介した次第です。なお、肝心の協定書等の事実関係については、維新の党から言及するにしてもおそらくサラッと流してくるでしょう(本当のことを事細かに言い出すと正真正銘の「自虐」になってしまいますので・・・)。
 
 一方、反対派としては投票までの活動でどのような振る舞いをすべきでしょうか。私としては、あくまでも事実を誠実に訴えることが有権者の正しい判断を下支えするのだと信じています。「嘘も方便」とばかりに市長の演説を真似ても橋下氏ほどうまくはやれないでしょうし、へたをすると言葉尻を捉えられて逆効果になってしまう場合も考えられます。嘘をつく(≒真実をあえて言わない)ことに慣れていない人は「呼吸するように嘘をつく人たち」の土俵に乗ってはいけません。
 また、少し前のアンケート結果で、「反対だけど投票には行かない」という人がかなり多かったことがもう一つの理由です。こうした層には、大阪都構想の胡散臭さをなんとなく感じているが事実関係を知らないことからコトの重大性を理解できていない方々が相当数含まれていると思います。ですので、もし彼らが正しい事実を知り、この投票が三途の川の分岐点であることを理解されれば、反対票を投じる可能性が高いのではないでしょうか。
 事実関係をきちんとお伝えするとしてどんな点を強調すべきか、いくつか列挙してみました。

(1)今回の投票が「政令指定都市である大阪市」を廃止してもいいかどうかを問うものであって、可決されれば実際に廃止されてしまうこと。
【政令市になると財源や権限が増え住民がトクをする⇒全国の市町村はみんな政令市にランクアップしたがっている⇒こんなにメリットがある政令市をよりによって「市」自身が廃止したがっている例は過去にひとつも存在しない等々】

(2)政令市が廃止され、不完全な基礎自治体である特別区の住民にランクダウンされてしまうと、住民は必ずソンをすること。
【間違いなく財源は不足し、大型開発は見送られ、福祉サービス(老人福祉、子ども医療費補助)など身近なサービスも当然削減の方向へ行く⇒現在日本で唯一の東京の特別区は他の市町村より権限が制限されており、皆、元の東京市に戻りたいと思っている⇒特別区民になってトクすることなど一つもない】

(3)今の協定書の内容に瑕疵があったとしても、いったん可決されてしまえば修正されることはなく決して元には戻らない。そのため少しでも疑問が残るのであれば実際に反対票を入れ、とりあえず今の協定書をストップさせる必要があること。
【否決されれば将来的に大阪を衰退をストップさせる別の改革案が立案・実行される可能性は残るが、可決されてしまうと協定書というアルゴリズムが発動、ただちに政令大阪市が解体され、ほぼ未来永劫、元の鞘に戻ることはない】

(4)これまでの某政党による宣伝と違いすぎるため、にわかには信じがたいと思うが、府と市の二重行政による無駄など現実にはほとんど存在しない。このことが府市協議会や市役所での専門的な検討で明らかになっていること。
【二重行政解消の効果は、昔は適当な計算で4千億円と謳われてきたが行政の専門スタッフが何度も調べ直した結果、実際には1億円程度の効果にしかならず、都構想移行のコストを考えると逆に年間13億円の赤字になる⇒都構想のメリットなど何もない】

(5)維新の党が盛んに宣伝する都構想のビジョンが、実際は都構想と無関係のものであること。
タウンミーティングなどでたとえば湾岸区にリゾートやカジノ施設を誘致するとし、これこそが都構想だと宣伝しているが、事実は政令大阪市を解体しなくても普通に進めることができる開発案件の一つにすぎない⇒無関係のものを見せて射幸心を煽る非常に質の悪い行為(ちなみに詐欺犯罪でも同様の手口を使う場合がある)

 

 それにしても、維新の党が専門的見地からは「論外」ともいえる大阪都構想を強力に進めているのは一体なぜなのでしょうか。想像も含め、荒唐無稽にならない範囲でつらつらと考えてみました――。

 

・二重行政解消による財政効果と都構想移行コストは、行政スタッフによる詳細レベルで既に結論が出ており(=差引で年間13億円の赤字)本来は構想としてすら生き残れないレベル。
・協定書が発効されたとすると、旧政令大阪市の財源だった分のうち年間2200億円大阪府に吸い上げられることになるが、このこと自体、旧大阪市の住民にとっては自由裁量のお金が減るためデメリットにしかならない。
・ところが大阪府としては自由に裁量できるお金が増える。特に大阪府は現在「起債許可団体」に指定されているほど財政状態が悪いため、2200億円の一部を赤字補填に活用できることは非常に魅力的。この額は都構想移行による年間13億円の赤字を補って余りある収入となる。
・したがって大阪都構想とは、大阪市の住民から吸い上げた莫大な税金を大阪府の赤字補填に用い、大阪府の財政健全化を進める抜本的方策といえる。問題は旧大阪市民のサービスが確実に低下し住民の不満は増大するが、これは地域が特別区に分割され「住民代表(=区長)の力」が大幅に削がれているため、府知事によるコントロールが容易である。
・さらに都構想の一環として(無理筋な)民営化や(不自然な)企業誘致を進める。これはいわゆる広義のレントシーキング(公共的業務を民間に開放すること)であり、政治家や推進者たちに有形無形の便宜供与の機会を与える。[典型例は、太陽光発電の固定価格買取制度、電力の発送電分離]

 

 まぁ大阪府や潜在的な利害関係者にとってはすこぶる美味しい話です。ですが仮にも大阪市民の税金でゴハン食べてる人がこれをやっちゃいけません。市民に対する重大な裏切り行為にもなりかねない話で、もし協定書が可決され、将来、大阪市域に住む住民がソンをする事態になったら「自分たちが決めたことだから仕方がない」と素直に納得してくれるでしょうか。人間ですからそんなことはあり得ないでしょう。おそらく法律で定められた事実の説明を故意に行わなかったとして当時の推進者に対して憎悪の目を向けるかもしれません。どんな形になるかはわかりませんが想定外の議論につながる可能性があることは容易に想像がつきます。都構想というのは地方自治史上最悪といっていいほど筋の悪い政策なので、大阪市有権者はくれぐれも軽い気持ちでスルーしてはいけません。5月17日の投票――大阪市にお住まいの方々におきましては、ぜひ正しい決断をされ、投票所に足を運んで頂けたらと思います(黒猫翁)

 

【経済】第一の矢「異次元の量的緩和」はホントに効いているのでしょうか?(3)

 前回までは、日銀の異次元緩和によってマネタリーベースを爆発的に積み上げているにもかかわらず市中のマネーストックは一向に増えず、各銀行が持っている日銀当座預金にどんどんお金がブタ積みされている――という現状をお話ししました。
 信用創造が働かなければ実体経済の“温度”は変わりませんので、その意味でいうとアベノミクス第一の矢は本来の目的としては完全な空振りだといえます。しかし、第一の矢で大きく動いた経済構造が一つあります。それは超絶ともいえる円安化、すなわち急激な通貨価値の下落です。

 

◆為替レートの推移は「読める」のか?
 ある程度年配の人は為替レートというとソロスチャートを思い浮かべます。その国のマネタリーベースと金利を関数として表された為替レートの推定式のことです。昔はかなり精度がよくて売買によく利用されていました。ところが一時からほとんど合わなくなりました。日本だとデフレ突入の時期あたりとちょうど符合しているかもしれません。その後、マネタリーベースではなくてマネーストック的なパラメータに変更した「修正ソロスチャート」が提唱されると割と一致するようになりましたが、それもつかの間・・・また推定と実績に乖離が出ているようです。最近ではビックマック指標とか購買力平価の云%以内で推移するとか色々な新説が出ているようですが、あまり的中しているものはありません。結局のところ為替に影響するパラメータが多すぎて精度のよい推定は難しいのだと思います。たとえば日銀が国債を買うと(非公開で・・・)示唆しただけで何故か次の日に為替市場が反応し円安に振れるという現象も耳にします。要するに大規模でしかも表に出てこない大規模集団(特に外国人)が緻密な情報網を張りながら、あらゆる条件の変化を即座に判断してアルゴリズム的に売買しているのではないでしょうか。そうした外人プレイヤーは当然複数存在し、それぞれが別々のアルゴリズムを持っているわけですから、なかなか学校の経済学のような美しい公式はできないわけです。
 しかし今までのところマネタリーベースを増やすとまずは円安方向に振れるというのはとりあえずの公式のようです。現在のアルゴリズムがそう作られているのかもしれません。円を増やすと円の価値が下がる――たとえ緩和マネーが日銀の当座預金でブタ積みされたとしても為替市場のプレイヤーたちが「少しの時間差で市中に出回るはず!」と判断したらやはり円は安くなるのです。

 

◆第一の矢は純輸出を伸ばしたか?
 円安になって日本経済が助かることといえば何かといえば、それはいわずとしれた「輸出」でしょう。これがおそらくアベノミクスの2番目の目的(マネーストック上昇が一番目)だったと思います。実はこの目的はある意味達成されています。下にグラフを掲載しました。

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 2002年あたりから米国需要の恩恵を受けた「いざなみ景気」で輸出がいい感じで上がり、2008年のリーマンショックでどん底に落ちたことが分かります。その後伸び悩みが続きますが、アベノミクスの実施が決まって円安が進んだ時期(2013年~)は輸出がかなりの傾きで上昇しています。ただし長期デフレの影響で海外需要に視点を移した製造業は輸出型から現地製造型に構造転換してしまっていますので(オフショアリング現象)、輸出の増加も爆発的とまではいかず、安倍内閣としてもやや期待外れだったでしょう。とはいうものの一定の輸出の伸びを実現することはできた意味で日本経済にとって嬉しいことでした。
 「輸入」のほうはリーマンショック後、「輸出」より少し低めで推移していましたが、2011年第1四半期以降、輸入単独でぐんぐん増加していきます。これはあきらかに2011年3月の福島原発事故の影響です。つまり事故発生直後から日本の発電構成が、輸入割合がほとんどゼロの「原発」から油をドカ食いする「火発」にすっかり置き換わってしまい、油の購入総量が爆発的に増えたわけです。このあたりから輸出額から輸入額を引いた「純輸出額」――これがGDPに計上されます――がマイナスに突入しています。
 さらに2013年からは異次元緩和による円安で油の購入単価自体が上昇し、購入総量とのダブル増により物凄い勢いで輸入額が増えていきます。せっかく輸出が着々と増えているのにもったいないことです。要するに、アベノミクス第一の矢で期待していた第2の目的(円安効果)は、純輸出の増加という観点でみる限り残念ながら失敗といわざるを得ません。もちろんこれは現政権が悪いというよりも、そもそも全原発の停止という世界でも稀に見る大失政をしでかした民主党前政権にほとんどの責任があると思います。

 

◆第一の矢の円安効果はなかったのか?
 純輸出が増えないことにがっかりした人は「第一の矢はやはり失敗か・・・」と自暴自棄になり、政策自体をすべてを否定しがちです。しかし円安効果はそれだけではありません。その効果が大きいか小さいかにかかわらず、偏りのない視点できっちりと評価すべきではないかと思います。

(1)輸出需要の増加による生産誘発効果
 輸出(や公共投資)をするとその企業だけではなく、原材料を供給する会社や事務所サービスを提供する会社など――関連するたくさんの会社の注文が増えて生産が誘発されます。これを生産誘発効果といい、最近の産業連関統計(2005年)では輸出の需要を1万円増やすと国内全体で生産が約2万円増えることが分かっています。
 円安が進んでいるときに、国内企業が海外への出荷数を変えず為替差益だけを享受する場合、国内製造数は変わりませんから他産業への生産誘発効果はありません。しかし、海外市場での販売価格を据え置いた場合、通常は出荷量が増え、国内での生産誘発が起こります。アベノミクス期である2013年以降の統計はまだ発表されていませんので定量的には分かりませんが、円安効果として日本経済にプラスの効果を生じさせていることは確かです。
 なお、安倍総理東南アジアなどに新幹線やインフラの輸出を推進していることは有名ですが、これなどは「純輸出」を増やすだけでなく、国内に巨額の生産誘発を生じさせるものとして注目に値します。

(2)キャピタルゲインによる資産効果
 安倍総理がしきりに主張しています。誤解を恐れず言い切ってしまえば、いわゆる株式売買による利益(キャピタルゲイン)の話です。資産効果といわれています。日本の株式は外国のトレーダーが売買の大半を占めていますが、彼らは円安になれば買い注文を増やし、円高になれば逆に売ります。ファンダメンタルがどうのこうの等ほとんど知ったこっちゃない――いわゆる「投機」を生業としている集団ですね。ですので、大まかにいうと円安になれば株価は上昇していきます。アベノミクス第一の矢で株価がぐんぐん上昇しているのはこのためです(たまに市場がアベノミクスを歓迎している云々、とかいう記事を見かけますが、あれは利害関係者のポジショントークでしょう)。
 いずれにせよアベノミクス第一の矢によって日経株価は上がっており、株式を売り買いしている人のキャピタルゲイン以下「あぶく銭」という)は増加しています。あぶく銭が増えると人はその分消費を増やすでしょう。その増加分の割合を限界消費性向といいますが、実際に日本国民はアベノミクス期で儲けたあぶく銭をどれだけ消費に回したのでしょうか。定量的に論じているものはほとんどないのですが、なんとか以下のようなページを見つけました。

https://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron263.pdf

 アンケートによって、「あぶく銭の2.2%を消費に回した」という統計結果が得られたとのことです。これを基にすると、アベノミクス期の消費支出の増加額4兆円のうち20%の8千億円があぶく銭の増加によるものだそうです。もちろん、これはせいぜい1万人を対象としたアンケートに基づくものですし財務省の外郭団体から公開されているものですので如何ほど信用できるか分かりませんが、当たらずとも遠からず、と考えておけばいいでしょう。少なくともアベノミクスの第一の矢によって数千億円程度の消費支出を増やしたというのは事実ではないかと思います。GDP500兆円に対するわずかなプラス効果はあったということです。
 なお、安倍総理は国民に株式投資を推奨していますが、あれは如何なものでしょう。アメリカ国民の可処分所得に対する株式投資比率は半端じゃないくらい高く、それが米国の量的緩和期の消費をある程度下支えをしたことはよく知られていますが、それを日本国民に真似させようというのはどこか間違っているような気がします。

 

◆就業率を増加させたかどうか?
 量的緩和などの金融政策は失業率や就業率を改善させるといわれています。実際のデータを見たいと思います。

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 就業者総数は大体アベノミクス期にぐんと伸びています。これをもってアベノミクス、特に第一の矢の成果だと主張する人は割と多いようです。たまたま次のようなページを見つけました。

脱藩官僚いろいろ。古賀茂明さんの「『報ステ』内幕暴露」で考えたこと | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]

 ところが本記事のグラフをご覧になると分かるように、65歳以上の就業者を除くと、就業率は政権交代とかアベノミクスの実施に関わらずまったく上昇していません。これは何を意味しているのでしょうか。
 これはちょうど団塊世代が大量に65歳になったことと民主党政権時に進めていた高齢者雇用の政策によるものです。2013年度から高齢者雇用安定法の本格施行に伴って、その少し前から65歳以上の雇用などに対する助成金制度が厚労省から続々と打ち出されてきたのが原因です。残念ながらアベノミクスには何の関係もありません。

 

◆第一の矢のまとめ
 生産誘発や資産効果はそこそこあったと思われますが、効果はやや小さすぎて現在の日本のデフレを脱却できるようなインパクトには到底届かなかったというのが現実です。雇用の上昇にも貢献できませんでした。また純輸出は期待されていましたが、こともあろうか民主党の過去の失策によって台無しにされてしまいました。もちろんこれについては改善の余地があります(今後の原発政策の行く末がカギになるでしょう)。
 しかしながら、アベノミクスの本来の目的は実体経済の温度をぐんぐんと上げ、内需の盛り上がりからデフレを脱却させようというものです。すなわちマネーストックを上昇させることがアベノミクスの神髄であって、周辺の桶屋が儲かる些末な話ばかりしていても埒があきません。アベノミクスとは本来何であったのか――それは第一の矢と第二の矢を「同時並行に進める」ことだったはずです。今日本で行われている経済政策は、(イギリスやアメリカで実質的に大きな成功を収めていないといわれている)金融政策単独の手法であって、現政権がそもそも進めようとしていたアベノミクスと似て非なるものです。(黒猫翁)

藤井氏に関する足立やすし衆議院議員のBLOGOSの記事が出ていました

BLOGOSは昔たまに眺めて楽しんでいたのですが一時期からコメント欄での罵詈雑言発言が多いときがあって以来ずっと見ていませんでした。藤井氏の一件でたまたま見たら維新の党の足立やすし衆議院議員の記事が出ていたので読んでみたのですが、ちょっとこれは如何なものか――

 「安全地帯でいえる2流学者」という公開での侮辱発言をしてしまっているのはあとあと問題になるでしょうが、それはそれとして、なんだか「7つの事実」の説明がなかったみたいです。

藤井氏が喧伝する「大阪がダメになる」理由のお粗末さ ― 国交省都市局長もダメ出しする藤井氏の「都市計画」論

 色々と書かれているのですが、肝心なことが何もありません。維新の党――なぜいつまで経っても「7つの事実」を無視するのでしょうか?

 ひょっとすると公党全体として誤解しているかもしれないので言ってしまいますが、「維新の党からきちんと反論・説明したことは一度もないのですが、それをきちんと認識されていますか」?

 また、足立やすし議員は藤井氏のことを「安全地帯」にいると侮辱していますが、議場での発言の自由を法律で特別に守られている国会議員のほうが「単なる学校の先生(失礼)」よりはるかに安全地帯にいると思います。ただし国会議員の特権にしてもデマや捏造をいえる権利だと認める人はいないでしょう。これについては藤井氏がとりあえずの指摘をしています。

「維新・足立議員」の国会質疑に基づく主張の不当性について|藤井 聡

 もし藤井氏にその気があれば法律的な決着はすぐにでもつくと思いますが、足立議員が今回の件で今後どうなっていくのか少しだけ興味はあります。いずれにせよ足立議員は「いわゆるやばい状態」にいる可能性がありますので、こんなご時世ぜひ積極的に説明されたほうがいいと思います。

 そんなことより、維新の党の足立やすし議員はここまでカミングアウトしたからには、藤井氏が基本としている「7つの事実」が本当に事実かどうかに対する見解をはっきりさせなければなりません。(大阪市民をケムに巻きたいだけなのなら別ですが)一番大事な点を放置したまま言葉をつらつら並べても霧が濃くなるばかりで、大阪市民にとって百害あって一利なしかと思います。

 そういえば橋下市長はあれはデマだといって右から左へ流していたのを記憶していますが、今までちゃんとした形で答えを聞いたことありません。市長は毎日記者会見やってるのですから、時間をかけてしっかりした説明をしてマスコミに大々的に報道させて欲しいと思います。お互いあまりにも相反した中身なので大阪都構想の提案側からきっちりした反論がないとさすがに一般市民としてはとても賛成票は入れられないでしょう。ヒトラーとかヘドロとかはっきりいってどうでもいい話です。(黒猫翁)

藤井聡氏に対する維新の党の対応ぶりを分析しました(4)

 3月6日に維新の党名義で京都大学山極総長に対して再度文書が発出されました。市長の新しい論点です。(怒りながら書いたからだと思いますが・・・)公式文書のわりには文章が継ぎ接ぎで論旨が非常に分かりにくいので、噛み砕いた形でご紹介します。
原文はこれです。

https://ishinnotoh.jp/activity/news/2015/03/09/20150306_news.pdf

◆京大総長への2番目の公式文書(FROM維新の党)
「藤井教授の「(自称)中立」の意見を拝聴したいので、同教授に対し、維新タウンミーティングに出席するよう大学総長として指示せよ」
【理由】
(1)彼は大阪都構想に反対している自民党の集会などで何度も講演を行っている。「中立」を公言しているからには維新が主催する集会を例外にするのはおかしい。

(2)藤井氏は「肩書き」を名乗り「学者として」の所見を流布している。こうした場合、外形標準説によれば「その組織を代表する人」として見なされ、その活動はもはや個人の活動ではない。(注:橋下市長は2/22の党大会スピーチで同内容に触れています)

(3)~いうことは藤井氏の活動は組織(=京大当局)の活動ということであり、彼の活動はイコール「職務」の一部ということに他ならない。組織は同様の「職務」を藤井氏に対して指示することができる。

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 かなり勝手な意訳で恐縮ですが順番に考えてみたいと思います。

(1)要するに「中立」と公言しているなら都構想賛成派の集会にも反対派の集会と同様の扱いにせよ、ということですが、前回の記事でも述べたように藤井氏は協定書案には明確に「反対」であり、中立を公言したことはありません。ですのでそもそも維新の党の主張は的外れということになります。

(2)外形性については、昔小泉総理の靖国参拝が公人か私人かという(ある意味くだらない)訴訟があったのでご存じの方も多いと思いますが、要するに「職務外の行為でも周りの人から見て職務遂行中と誤解されても仕方のない外見上の特徴があれば職務とみなす」という考え方です。たとえば社用車を無断で乗り回していた社員の行為などがこれに当たります。訴訟などの場ではケースバイケースで判断されますが今の場合はどうでしょう? 藤井氏の大学教授としての職務は、学生の教授・研究指導及び自分の研究に従事すること(学校教育法92条)であって、性質上、職場外・勤務時間外の活動は「職務」になり得ません。どこかの大学教授が、勤務時間外に大学キャンパス以外の場所において肩書き付きの学者として講演を行ったとしても、これをもって学生の研究指導の目的で行われていると見なす人は皆無でしょう。またこの教授には通常いくばくかの講演料が主催者側から支払われるはずですが、これが職務の対価として京大当局から支払われると考える聴衆がいるでしょうか。たぶんほとんどいないでしょう。ということは聴衆はこの大学教授の行為を(当然の常識として)職務と見なしていない、ということです。外形性は成立しないと思います。

(3)外形説による「使用者責任」のことを言っているのでしょうか? これは「外形的に職務と見られる行為はその使用者(組織)の使用者責任を問うことができる」というものです。民事訴訟で個人より会社に損害賠償請求したほうがたくさんお金がもらえると思った場合によく使われます。しかし使用者責任というのは法律的に不法行為があって初めて発生する責任ですので、今回の件はそもそも成立要件・・・というより前提そのものが存在していません。
 また、「大学教授による肩書き付きの言論行為は職務の範囲内であることから、大学当局が責任を有し、その行為を指示することができる」という維新の党の解釈が正しいとすると一つ問題が出てきます。大阪府及び大阪市の特別参与に上山信一という慶応大学教授がおられますが、この方は維新のブレーン中のブレーンと言われている有名な人で、一時期大阪維新の会の政策特別顧問を務めていました。その言論活動は活発で、たとえば以下のようなものがあります。

さあそろそろ次の総選挙の準備を始めるか

大阪都構想は制度変更ではなく改革の始まり

 軽く一読頂ければ分かりますが、大阪都構想維新の党に対する礼賛に満ち溢れているといっても過言ではないでしょう。この教授は少し前に流行った新自由主義経済の推進者であるとともに、紛れもなく「維新の党」の強烈な支持者(というより創始者?)です。ここで維新の党の解釈からすると、慶応大学教授という肩書きを用いている上山氏の言論行為は外形的に職務であり、その内容についても慶応大学当局に責任があることになります。つまり、上山氏が「維新支持」の絶対的スタンスで職務行為を続けていることに対して責任ある大学側が長年にわたって何らの処置を講じていない、ということは「維新支持」を当局として認めているといわれても反論できないでしょう。ところが教育基本法14条では、
法律に定める学校は、特定の政党を支持してはならない
と定められています。法律に定める学校にはもちろん学校法人である慶応大学も入っています。これは慶応大学が法律上「政党中立」を義務付けられているにもかかわらず、その被使用人である教職員が職務行為のなかで特定政党の支持をしていることを事実上認めている構図になりますので、普通に法律違反になるでしょう。橋下市長と維新の党の外形説の主張は自らの理論的支柱ともいえる存在の行動を完全否定してしまう特大ブーメランになっているのではないかと思います。

 さて結果的に藤井氏はタウンミーティングでの講演を断りました。その理由として大阪維新の会でネット公開されている説明資料に事実の捏造を疑わせる記述があったからとしています。本当だとすれば一人当たり年間1億円近くの国民の税金をもらっている公党として存亡の危機に結び付く話です。ですが、そもそもそれ以前に職務外の個人の言論活動に関連して講演をお願いするのであれば社会人としての常識をわきまえた形でやるべきでしょう。「~~という理由で藤井氏は講演すべきであり、上司として指示せよ」などという文書を送り付けること自体失礼極まりない話であり、無視してもいいくらいのレベルだと思います。

 当初は対等で真っ当な議論の応酬を期待していた私としては非常に残念極まりない状況になっています。私自身は特殊なイデオロギーにはまったく関心のない一般国民ですが、「維新の党」の圧力団体(注)のようなやり口だけはちょっと許しがたい気持ちを持っています。この政党は一体なんのために活動し、そしてどこへ向かおうとしているのでしょうか。(黒猫翁)

 

(注) 今日発見したのですが藤井氏のサイトにまさにこの話題が掲載されていました。記事には全く同感です。

新潮45:『「橋下維新」はもはや“圧力団体”である』のご紹介|藤井 聡

藤井聡氏に対する維新の党の対応ぶりを分析しました(3)

 ついこの前、橋下市長から、大阪市職員の一部に対して大阪都構想住民投票関連のマスコミの取材を受けないよう要請がありました。市職員すなわち公務員の政治活動については法律上非常に抑制的ということもあり、あまり不思議に思わずスルーしてしまった方がほとんどだと思いますが、あの要請自体は非常に独善的な考えから出てきたものであって、おそらく法的根拠はほとんどないと思います。さて本題、橋下市長の(すり替え後の)新論点ですが――。

◆「中立といいながら藤井氏は反都構想の政治活動をやっており、まさに中立偽装だ」
 ここでは政治活動をやってはいけないとまでは言っていませんが、なんとなく言外に「教職員が政治活動をやっていいのか?」というニュアンスを醸し出した発言です。いわゆる教育公務員(大学等を除く公立学校の教員)の違法な政治活動が問題となっている昨今、市長発言を聞いた聴衆のなかで藤井氏のことを同列視して捉える人がいてもおかしくありません。印象操作ですね。藤井氏は大学の教職員ですが、2004年の国立大学法人の設置に伴い公務員の身分から離れています。したがって教育公務員が現在も受けているような政治活動の一部禁止の規則に縛られることなく、普通の会社員とほぼ同様、自由な政治・言論活動を行うことができます。数百億円の税金をもらっているくせに、という批判は単なる感情論であって悪質な印象操作ともいえます。
 さて、藤井氏は今は法人職員だから職務外の政治活動云々の議論は意味がないといえばその通りなのですが、あえて国家公務員法に照らした場合、今の藤井氏の活動は問題なのかどうか?を検証してみたいと思います。「今はセーフだが昔はNGだった」のか「今も昔も問題なかった」のかを確認しておくことは藤井氏の活動の本質を理解する上で必要だと思うからです。

 藤井氏が行った活動はごく簡単にいうと、
大学内における職務とは関係なく(もちろん勤務時間外に)大阪市住民投票にかけようとしている公共政策(案)に対し、各種メディアや政治団体の集会等を利用して批判活動を継続して行っている
というものです。このとき藤井氏が国家公務員であったとすると、同氏には国家公務員法及び人事院規則が適用されます。「公務員はたとえ勤務時間外であっても、政治的な目的で政治的行為を行ってはならない」というのが鉄則ですので、勤務時間外だからといって残念ながら門前払いはできず、一応の適用性検討は必要になってきます。

 さて人事院規則において藤井氏の活動が政治的行為として引っかかりそうな条文は、
集会などの場所で公に政治的目的を有する意見を述べたり――政治的目的を有する文書などを著作したりすること
ですが、注意すべきことは「政治的目的」を伴わない行為は対象とはならないことです。政治的目的も規則において具体的に規定されており、藤井氏の場合、
(1) 「『公選職』をえらぶ選挙で特定の人を支持または反対する目的」があるかどうか――
あるいは
(2)「特定の政党(OR政治団体)を支持または反対する」目的があるかどうか――
が焦点になります。
 (1)については現在及び近い将来まで公選職の選挙は催されていませんから論外です。
 (2)については若干検討の余地はあります。藤井氏は現在のところ言論活動のなかで「政党」に対する支持・不支持に関するいかなる意思表明もしていませんが、ある政治団体すなわち自民党の集会で複数回講演を行ったのは事実です。この行為を含めた一連の言論活動の目的が、「維新の党に反対し自民党を支持すること」であれば、それは立派な政治的目的と見なされ国家公務員法違反となるでしょう。懲戒処分や罰則(3年以下の懲役または100万円以下の罰金)を受けることになります。
 しかし藤井氏の言論内容を見れば一目瞭然ですが、政党や特定団体に対する礼賛や否定といった政治的な評価は何ひとつ見当たりません。これは実際に読んだり聞いたりした人なら疑いようのない事実です。同氏の視線は常に大阪都構想という具体的な「政策案」に注がれており、その意味において、彼の言論活動の唯一の目的は
大阪都構想という政策案が公共の利益に資するかどうか――について公共政策の専門家としての見解を広く一般に流布すること
であると判断せざるを得ません。結果的にそれが自民党を利し維新の党に政治的不利益を与えることになったとしても藤井氏の活動目的からすればどうでもいいことでしょう。やはり(2)についても成立性は低いといわざるを得ません。

 もうひとつ注意しなければならない法律があります。5月17日の住民投票は「大都市地域における特別区の設置に関する法律(平成25年制定)」に準拠して行われることになっていますが、そのなかで投票の実施にあたっては「公職選挙法」の一部を準用することが謳われています。そこに次の条文があります。
国家及び地方公務員はその地位を利用して投票活動をすることができない
 地位を利用して――という部分が味噌です。この条文違反で摘発された公務員は過去にたくさんいて、『国家公務員と仮定された藤井氏』としてはもっとも気をつけなければいけないところです。具体例をいいますと、たとえば藤井氏が大阪市在住の教え子に対し「反対票を入れてくれたら私の講義は合格にしてあげる」などの行為です。これについては他人様の内心や背後の行動まで推し量ることはできませんので何ともいえませんが、動画やテレビで藤井氏のお人柄をお見受けする限り無縁の条文という気がします。
 ただしこの条文に関連して時々おかしなことを言う人がいます。「肩書」付きで講演やメディア出演をすることは「地位を利用した行為」に当たるという指摘です。よくある外形標準説(意味は民法の入門書などをご覧ください。)に基づく主張ですね。ごく最近では橋下市長が藤井氏の活動について類似のことを講演で発言していますが、さすがにこれは拡大解釈であることはご自分でもわかっておられると思います。この主張が正しいとすると巷に数多ある講演会のレジュメから演者の肩書きがすべて消え去り、開催された会合は正体不明の謎の人物たちが語り合う秘密集会のようになってしまいます。肩書きのついた演者による講演については、
単に慣例によって肩書きを使用することや純粋に個人的なものは地位利用による選挙運動には該当しない
というのが国などの一致した考え方となっています(その旨はっきりと書かれたwebページはいくつか発見できましたが、愛知県のHPが一番分かり易いと思います)。

 頭の体操は以上です。つまり藤井氏が国家公務員であると仮定しても、その言論活動は国家公務員法・人事規則及び公職選挙法に抵触するものではない、というのが結論で、「今も昔も問題のない」健全な言論活動であるといえます。なお藤井氏は現内閣における内閣官房参与としての顔も持っていますが、参与は国家公務員の政治的行為に関する条文の適用除外とされていますので何の問題もありません。
 
 さて橋下市長は「中立偽装」していると批判していますが、この点はとても誤解を生みやすい表現ではないかと懸念しています。なぜなら「政党に対して中立」と「政策に対して中立」というのはかなり違った話になるからですが、テレビなどを聞き流している人はそれほど深くは考えないからです。「政党中立」ならば、どこの政党も特段支持していないという意味になって分かり易いのですが、「政策中立」というのは意味不明であまり聞いたことがありません。おそらく、条件付きで賛成あるいは反対という人か、政策自体がよく理解できない人か、そもそも関心のない人か――そんな多様な人をひっくるめて「政策中立」と定義するしかないでしょう。藤井氏がサイトにおいて「中立を公言した」とする市長の言葉は事実でないとしていますが、それはそうでしょう。なぜなら藤井氏は明確に「政策反対」だからです。同氏は、「7つの事実」は単なる事実の紹介であり、都構想という政策に対する賛成か反対かを示した記事ではないという(当たり前の)ことを言ったにすぎないのですが、橋下市長がそれを勝手に「都構想という政策に中立」と決め付けてしまった旨主張しています。

中立といいながら藤井氏は反都構想の政治活動をやっており、まさに中立偽装だ
 この市長の言葉に対して藤井氏が返答するとすれば次のようになるでしょう。


政策中立などとどこでも言っておらず私は明確に政策反対である。市長は勝手に中立を公言したと誤解あるいは曲解したにもかかわらず私に落ち度があると決め付け、『偽装』などという言葉を用い私の名誉を著しく毀損しており甚だ遺憾である。なお私の言論活動は仮に私の身分が国家公務員のままであったとしても、政治的目的(特定の政党の支持など)で行っているのではないため政治活動という指摘すら間違っている

 市長の論点はさらに変わっていきます。(しつこいようですが「7つの事実」に対する維新の党の回答はどうなっているのでしょうか?)(黒猫翁) 

藤井聡氏に対する維新の党の対応ぶりを分析しました(2)

※ 事実関係(数字など含む)に若干不正確なところがあったため少しだけ修正しました(3/16)

 藤井京大教授が「7つの事実」を公表して以来、維新の党――「大阪市長」とこれまで書いてきましたが各方面への抗議文書の発信者名が「大阪維新の会」から「維新の党」に変わってきましたので、今後はこの固有名詞も使います――は論理的な回答を一切打ち出さず、ひたすら論点を逸らし続けています。今回は維新の党が勝手に設定した「論点」が正当な主張なのかどうか検証してみたいと思います。

 

◆「藤井氏のヘドロ発言は公選職である大阪市長かつ政党代表に対する人格攻撃であって許しがたい」
 これについては記者会見でも何度も発言していましたが、2月6日付で京都大学の山極総長宛てに出した「大学の見解を問う文書」がわかりやすいです。要約すると「大学教授が政治家を厳しく批判してもいいが、公選職である市長に対する藤井氏のヘドロ発言はその範疇に入っていない。京大としてしかるべき対応をしない場合は国会の場で追及させてもらう。国立大学は国民の税金である交付金を530億円もらって運営していることを肝に銘じよ」――という文書です。
 まず変だなと思うのはヘドロ発言が不適切であるとした理由が付されていないことです。根拠なしに何でも断定できるのなら議論で勝てない相手は存在しないでしょう。あるいは「公選職」に対する批判には一定の限度があるとでもいいたいのでしょうか? 「公選職」というのは選挙で当選したことで得た職業のことで首長や議員全体を指しますが、彼らがそんな特権を持つとする条文はどこにもありません。中華人民共和国なら話は別ですがここは日本です。
 翻って藤井氏の主張を見ると、同氏がなぜ「ヘドロ的」という表現を用いたか、ご自身のサイトで実に明確に説明されています。

なぜ私、藤井聡は『橋下徹』という一政治家に対して、ヘドロチックという徹底批判を『2年以上昔』に展開したのか。|藤井 聡

 藤井氏の説明は要するに、そもそも橋下市長が過去の著作のなかで「政治家を志すということは権力欲・名誉欲の最高峰である」と主張していたことを挙げ「ヘドロ的」というのはこうした主張に対する風刺的表現である――というものです。根拠がはっきりしていて普通の感覚として納得できる理由です。一般常識を疑われるような考えを表明している政治家に対して真正面から批判することは、(維新の党の文書でも書かれているように)十分正当な行為の範囲内であり、「不合理な人格攻撃」という指摘は当たらないでしょう。維新側が藤井氏の見解に対抗するためには過去の著述の記載内容を前提とした論理的な反証が必要で、それができなければ彼らの主張は根拠のないデマゴーグといわれても仕方がありません。


 ちなみにひとつ指摘しておかなければならないが橋下市長の罵詈雑言の件です。市長は公開の場で、学校教育の業に携わる藤井氏のことを「バカな学者」といい「小ちんぴら」と表現したのは否定しようのない事実であり、新聞テレビが大々的に報道したことによって不特定多数の人間に広範に流布されました。これは色んな意味で強烈な人格否定の言葉であり風刺描写だったなどという言い訳はまず認められないでしょう(名誉毀損罪が成立するかもしれません)。こうした発言は「公選職」に携わる人間だから許されるということはなく、道義的にはむしろ逆により強く糾弾されるべきかと思います。少なくとも藤井氏の「ヘドロ的」という表現を問題にするのであれば、自らの発言についても何故こう表現したのか?――明確な根拠を示した上での説明が必要です。これは、どっちもどっちだね・・・という矮小な仲裁話ではなく非はあきらかに橋下市長にあると思います。にもかかわらず「人格攻撃」をしている人間が「人格攻撃」をされたと抗議する姿は、どこか韓国の政治団体と似ていて、ウーンと首を傾げてしまいます。維新の党はもっと一般国民の視線に注意を払う謙虚さが必要ではないでしょうか。

 次に、京大は国立大学で税金から530億円もらっていることを肝に銘じろ・・・というくだりですが、維新の党国会議員は税金から、歳費(給料)を月130万円、文書通信交通費が月100万円、立法事務費が月65万円、期末手当で年635万円と、年間4200万円もらっており、政党助成金約4500万円/人(=日本平均)と合わせると一人当たり年間8700万円も税金を受け取っている存在です。超特権階級ですね(笑)。党全体としての税金依存度は2013年分の政治資金収支報告書で計算すると7割弱程度です。一方京都大学運営費交付金は560億円ありますが教授職は1000人以上いますので一人当たりの交付金は単純計算で年間5~6千万円になります(これを教授の下に設けられた研究室の人件費や運営費に活用します。大学全体の組織運営費は相当大きいはずですが保守的にゼロとしました)。京大全体の税金依存度は4割程度です。国立大学というのは授業料などを低く設定している分交付金をたくさんもらっていることは事実ですが、大学側からすると、5割以上多額の税金を受け取り、運営費を相当割合税金に頼っている政党から「君らは税金もらっている身であることを肝に銘じろ」といわれてもピンとこないでしょう。やはり足元が見えていないような気がします。

 最後に京大の山極総長からの返答(2/18付)は次のようなものでした。

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藤井教授の発言は、本学の職務行為として行われたものではなく、職務外に個人の表現活動として行われたものであり、本学としての見解を表明することは、差し控えたい

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 少し解説が必要かもしれません。

 国立大学の教職員は昔は国家公務員であり、国家公務員法人事院規則が適用され、その行動には相当の制限がかけられてきました。しかし財政削減の流れで2004年に法人化され、教職員はもはや国家公務員ではなくなったことから、その労働条件や服務規定については各大学法人があらたに定めた就業規則に準拠することになっています。要するに普通の民間企業と同じになったということですね。もちろん教育機関ですから「教育基本法」が厳格に適用され、その法律の限りにおいては国立大学法人は昔どおりの「国」とみなされて同じ役割を果たす義務が存続されています。いわゆる“みなし公務員”とされる部分であり、学校法人(いわゆる私立学校)よりも義務的な条文が多くなっています。
 さて大学の当局が教職員の服務管理を行うときにバイブルとなるのは、一般企業と同様、就業規則あるいは服務規程です。これらに書かれた条文に抵触しているかどうかを判断することが大学当局の役割であって、たとえば大学の学長が独善的な考えでもって勝手に職員を処分することはできません。今回の件で京大の山極総長がチェックしたのは次の2つの条文ではないかと思われます。

 (1)教職員は勤務時間中職務に専念し、職務とは関係のない行為をしてはならない
(2)職場の内外を問わず、大学の信用を傷つけ、その利益を害し、又は教職員全体の不名誉となるような行為をしてはならない

  さて藤井氏の活動を考えると、まず勤務時間のことですから(1)には抵触しないことはあきらかです。勤務時間外における同氏の行為は「個人」の自由であって大学当局が管理すべきものではない――これは至極真っ当な判断で誰も否定することはできません。ただし(2)の条文で、職場の内外を問わず、勤務時間外であっても(←これは就業規則の下の倫理規程に書かれています)大学の信用を傷つける行為をしてはならないとされています。いわゆる「信用失墜行為」というもので、よく耳にするのが飲酒運転による人身事故でしょう。京大当局は(2)についても問題なしと結論しましたが、そもそも個人の言論活動のなかで比喩として用いた表現が教員の信用失墜行為として取り上げられた事例はなさそうです。なお信用失墜行為というのは橋下市長の得意分野で、自らが率いる(言うことをきかない)大阪市職員にそれが適用されないかどうか執拗なほど事上げしているのは周知の事実です。


 実をいうと信用失墜行為に関しては本来は大阪市長本人のほうが引っかかる可能性が高いのをご存じでしょうか。上述した「バカ学者」「こチンピラ」発言をはじめとした「反復しての侮辱(あるいは名誉毀損の可能性のある)行為」です。反復しての行為は法律では非常に重要視されます。たとえば自分の家の前に毎日ちょこっと自家用車をとめていただけで車庫法に抵触して通報されるのが典型的な例ですね(=反復しての車庫代わり駐車)。また、ここ一連の市長の記者会見やそれを契機とした多くの支持者による悪意のある書き込みによって藤井氏という個人の社会的評判が著しく毀棄損されている――こうした状態を考えると、大阪市長及び維新の会の行為は総合的に見て一個人に対する不法行為になっている恐れが高く、たとえ結果的に不法性が成立しなくても大阪市に対する看過できない信用失墜行為になり得ると思われます。たとえば横須賀市には市長及び副市長の服務(倫理)規程が定められており、信用失墜行為の禁止が明記されています。大阪市でもこれがあれば服務違反で懲戒の対象となるでしょう。ところが同市にはありません。

 多くの地方自治体では「政治倫理条例」が定められていて市長の収入の公開などが義務付けられていますが、その中に今回の件に適用されそうな政治倫理基準が盛り込まれているところがあります。

市長及び議員は、市民全体の奉仕者として品位と名誉を損なう行為をしないこと

という条文です。大阪府内の市では東大阪市和泉市がそうです。このルールのある自治体の長は、これに抵触すると条例違反となりますから「品位と名誉を損なう行為」に対して非常に敏感になります。これがあれば当然テレビの記者会見などの発言には当然気を遣うでしょう。ところが大阪市には上述の信用失墜行為の規定と同様、同種の条文はまったくありません。橋下市長の姿勢が常に強硬なのはこれが大きな理由なのかもしれません。
 もちろん「自治体の長の品位の所持」とか「住民に対する直接的な説明責任(対住民直接答責性)」などは欧米では当たり前のことで日本でも法制化の流れにありますから、大阪市長も当然気にしているとは思いますが、少なくとも今の状況では市長のやりたい放題なのかもしれせん。法律でその言動がガンジガラメにされ、さらに公選の特別職市長にあら捜しをされている大阪市の職員たちのことを考えると、「気に入らなかったら選挙で落とせばいいじゃないですか?」と嘯く市長の姿は民主主義としていかがなものかと思います。

 

◆「文句があるなら公開討論をしようではないか。それを受けないのは藤井氏に自信がないからで言論の内容がデタラメだからだ」
 少し前の記事にも関連することを書いたと記憶していますが、若い人に一番支持されやすい主張です。喧嘩を売られたら買わないのは自分に自信がないからだ――年齢が下がるほどこのような考えにとらわれがちですが、大人でこんなことを本気で思っている人は滅多にいないと思います。社会人の世界では売られた喧嘩を買った人は売った人同様負けるのが通常です。ほぼ100%両成敗にされてしまうからですね。藤井氏が普通のサラリーマンであったとしてもこうした煽りにおいそれと乗ることはできません。さらに信用失墜行為の問題もあります。なぜか市長がこれで懲戒されたことはほとんどありませんが、普通の企業や大学では結構実例があることだからです(大半は依頼退職となって表沙汰にはなりません)。特に「市長VS在特会」のような流れに故意にもっていかれ、大学の名誉が傷つけられるような事態になれば藤井氏としては後々不利益を蒙る可能性があります。
 「議論」という言葉は日本社会でもよく使われます。ですが本当の意味で議論しているのかと問われると必ずしも建設的な議論になっていない場合がほとんどだと思います。今はどうか知りませんが昔(30年以上前?)はアメリカなどでディスカッション・ゲームみたいな催し物がたまにテレビで中継されていました。司会者から本当にくだらない(笑)テーマが設定され、とにかく相手を言い負かせば勝ちというゲームですが、そこには日本人にはとても信じられないような卑劣極まりないテクニックが山ほどあって、それらを駆使して相手チームを罠に落としこみ沈黙に追い込まないと勝てません。こんな「お笑いディスカッション」を橋下市長が本気で望んでいるとしたら民意を反映していると胸を張る公選職の名前が泣こうというものです。
 大事なことは「建設的」かどうかです。建設というのはお互いが協力しないと成り立ちませんが、どちらか一方だけでも協力的でなければ最終的な成果である「建設物」を得ることは絶対にできません。ということはどういうことか?というと、最低限「怒っている相手」とは絶対に「建設的な議論」はできないということです。怒りを有する相手からは協力的な関係は生まれませんから当然のことだと思います。翻って維新の会の対応はどうかといえば、記者会見のみならず文書においても非常に攻撃的な書き方をしています。つまり「怒って」いるか、あるいは怒っているフリをしています。こういった相手とは建設的な議論は不可能とするのは自然な判断だと思います。

 逆にこれが可能な環境が整えば議論慣れしている藤井氏はおそらく公開討論でも何でも受けるかもしれません。もちろんそうなれば知識と論理とその用い方が自らの武器になりますからそれこそ頭脳と頭脳の純粋な戦いになります。「論点逸らし」などのくだらないゲーテクを使おうとした瞬間にレフェリーから指摘され沈黙を余儀なくされるでしょう。藤井氏の“どうしてもやりたいのなら相手が冷静になったとき――そして時間無制限でやりたい”という発言にはこうした底意があるのだと思います。こんなガチな頭脳勝負を前提としたとき果たして大阪市長は公開討論を受けることができるでしょうか? (黒猫翁)

 

【お知らせ】次回は最近市長が指摘している「中立」について書きます。

藤井聡氏に対する維新の党の対応ぶりを分析しました(1)

 当初は藤井京大教授と橋下大阪市長との建設的な議論の応酬をじっくりと考えようと思って書き出したシリーズ記事でしたが、藤井氏がインターネットで「7つの事実」を公表して以来、市長率いる「大阪維新の会」や「維新の党」という政治団体がどんどんおかしな方向へと走り出してしまいました。

 これまでの流れを簡単におさらいしてみましょう(順序不同や細部を端折っている点はご容赦ください)。

 まず、「7つの事実」公表に対して、市長側は具体的な説明なり回答をするでもなく、2年以上前に藤井氏が出演した対談番組の動画

http://satoshi-fujii.com/150208-2/

をほじくり出し「これは市長に対する人格攻撃だ」と批判しました。
 そのあとは、名誉棄損ともいえる公開の場での悪口雑言、そしていきなり大阪維新の会が「公開討論」を申し入れ藤井氏がこれに応じないと見るや橋下市長は同氏が「逃げた」と決め付け勝手に勝利宣言?を出しました(「もう私自身が相手にする必要もない等々」)。ネット上ではまるで突撃命令でも出たかのように匿名の維新支持者たちが一斉に騒ぎ立て、目を覆いたくなるような罵詈雑言の嵐が吹き荒れたのは記憶に新しいところです。
 しばらくすると今度は「マスコミや国立大学は中立であるべきである」という見解を新たに発信し始め、維新の党名義で藤井氏の活動に関する見解を問う文書を京大総長に送り付け、適切な対応を取らなければ国会で取り上げると書いたり、テレビメディアに対しては藤井氏の起用などに対して報道姿勢に“留意”を求めたり、最近では藤井氏が中立であると主張するのであれば自民党だけでなく維新の党のタウンミーティングにも来いと前述のお二人に再び文書を送り付けています。


 さてここまで書いてきて、マスコミやネット市民、あるいは本件をフォローしてきているすべての方々に対してあえてひとつ問いかけをしたいのですが、

それはそうと「7つの事実」に対する維新側からの回答はどうなってしまったのでしょうか?

 「あぁ忘れていました」という方は、(すでに票読みを始めて懸念を募らせている)維新が苦肉の策で繰り出した「論点逸らし」の下策にまんまと嵌ってしまっているのではないでしょうか。

 住民投票を控えた大阪市有権者が本当に知りたいのは、藤井氏のヘドロ発言が正当化できるかどうか――とか藤井氏が公開討論を受けるかどうか――とか藤井氏の活動が中立かどうか――とかいう呑気な話ではありません。市民が一票を投じるか否かは、たまたま藤井氏という学者が述べている学問的な内容が事実かどうか?という点にかかっているのだと思います。維新の会は顔を真っ赤にしてひたすら「論点逸らし」に狂奔し、「7つの事実」に対する論理的な反論を完全に怠っていますが、これから5月投票までの期間、藤井氏の相変わらずマイペースな情報発信力を考えると最後まで隠し通せるとはちょっと考えられません。そろそろ腰を落ち着けたほうがいいのではないでしょうか。(黒猫翁)

【お知らせ】次回は維新の会が「論点逸らし」の目的で指摘している藤井氏の“落ち度”について解説してみたいと思います。7つの事実の議論が実質的に進めばどうでもいい話ですが、公党が行ってしまった行為については評価が必要だと思いました。